【奥さん誰】三宅裕司:嫁妻の名前や顔写真画像あり

時事

こんにちは。坊主です。

今回は、俳優でタレントの三宅裕司さんを取り上げます。

2024年10月4日放送の「徹子の部屋」に、三宅さんが出演されます。

私生活では一般人の女性と結婚しており、2人の子供(息子)にも恵まれている三宅さんですが、奥さんとはどんな人物なのでしょうか?

三宅裕司の奥さんは誰?嫁妻の名前や顔写真(画像)は?

三宅さんが奥さんと結婚したのは1986年6月9日の時。

お互い35歳という節目を迎えた年齢で結婚しました。

冒頭でも触れた通り、結婚相手は一般人の女性ですが、結婚した1980年代だったということもあり、奥さんの顔写真(画像)が週刊誌に掲載されていました。

結婚相手の顔写真がこちらです。

上記の通り、奥さんの名前は「天野正子」さん(※①)といいます。

[※①補足]

結婚当時の正子さんは能力開発セミナー会社に勤務していました。

三宅さんは自身がパーソナリティーを務めているラジオ番組にて「世界のマコさま」というコーナーを設けており、ここでは奥さんの迷言が紹介されています。

このコーナーに倣って、ファンの間では「マコさま」と呼ばれている奥さんですが、これは本名である「正子」に由来していたというわけです。

現在では個人情報の保護やコンプライアンスの意識がマスコミや世間に広く浸透しているため、芸能人が一般人と結婚しても、昔のように相手の顔写真や名前が週刊誌に掲載されることはなくなりました。

現在でこそ三宅さんの奥さんは表メディアには出てきませんが、結婚当時は諸々におおらかな時代だったこそ、正子さんの素顔が分かったと言えます。

出会いや馴れ初めは?

三宅さんと正子さんが初めて出会ったのは小学校4年生の時でした。(※②)

[※②参考文献]

●https://gossip-history.com/g01130/

三宅さんは東京都 千代田区にある西神田小学校(現在のお茶の水小学校)に通っていましたが、4年生の時に、山梨県から正子さんが転校してきたのです。

三宅さん本人によると、小学校時代の彼は異性からモテていたらしく、最初に恋心を抱いたのは正子さんの方だったといいます。

ただ、小学校時代に2人が交際することはなく、そのまま小学校を卒業し、同じ千代田区立 一橋中学校に進学します。

しかし、同じ中学校とはいえ、この一橋中学校はひと学年が12クラスもあるマンモス校だったため、中学の3年間はほとんど会話する機会はありませんでした。

大きな転機が訪れたのは高校2年生の時で、この時に小学校時代のクラス会が開かれたのです。

このクラス会で再会を果たした2人は意気投合し、交際に発展したというわけです。

こうした馴れ初めがあり交際・結婚に至った2人でしたが、結婚までの道のりは決して順風満帆ではありません。

というのも、2人は結婚に至るまで7回も破局しているのです。

例えば、最初の破局は大学に入学した時でした。

ただ、破局した後もお互いに未練があったのか、三宅さんは大学でバンド活動やライブ、パーティーなどがあると正子さんに声を掛けていたようです。

これがきっかけで2人は復縁し、再び交際をスタートさせています。

こういった具合に2人は破局と復縁を繰り返しながら、1986年にお互いが35歳を迎えたタイミングで結婚したのです。

ちなみに、三宅さんは正子さんに2回プロポーズしています。

1度目のプロポーズは27歳の時で、当時の三宅さんは「大江戸新喜劇」で俳優として活動していました。

ある日、三宅さんは正子さんを山に連れていき、山小屋に泊まっていたところ、奥さんからトイレについて来てほしいとお願いされ、2人で小屋の外に出ます。

すると、そこには満点の星空が広がっており、2人が星空をじっと眺めている中で、不意に三宅さんが「結婚しよう」とプロポーズしたのです。

ただ、結論からいうと、1回目のプロポーズは失敗してしまいました。

これは正子さんが拒否したというわけではなく、正子さんの両親が三宅さんとの結婚に反対したのです。

その理由は、当時の三宅さんが無名の役者だったことから、「将来性がない」というものでした。

この理由に納得せざるを得なかった2人はお互いに愛し合っていたにも拘わらず、破局することになります。

しかし、1984年に再び正子さんと復縁したことで、三宅さんは2度目のプロポーズを行います。

2度目のプロポーズは新宿にある寿司屋でした。

この時の三宅さんは既に有名な役者になっていたためか、正子さんの両親から結婚に反対されることはなかったようです。