こんにちは。坊主です。
今回は、上岡 龍太郎さんを取り上げます。
関西出身の漫才師で、島田紳助さんが”心の師”として心酔する彼ですが、2000年4月に芸能界を引退。
しかし、ここに来て再び上岡さんに注目が集まる事態となっています。
実は、「デイリー新潮」が彼の談話を掲載したからです。
上岡さんは過去に「芸人」と「反社会的勢力」の関係を次のように語っていたのです。
「芸人ちゅうんはなんや言うたら、
落ちこぼれ人間ですよ。社会のはみ出しもん。
アウトロー。
いわば暴力団と一緒ですから。」
「我々とヤクザは一緒。
そやからあの、
芸人とヤクザが癒着したらいかん言うけどウソ、あんなもん。根が一緒やから癒着もなにも、
もともと同じタイプの人間やからね」
「できるだけ楽したい、ね。
みんなと一緒のことはしたくない。
そや言うて、
ちやほやして欲しい、お金はようけ貰いたい。ほとんどこういう考えの人間が芸人とヤクザになるんですね。」
「ただ、向こうは腕が達者でこっちは口が達者やったいうだけでね。
(中略)
我々芸人の言うこと聞いて、
“へえ”とか“なるほどなあ”とか、
そういうことを一般の人は言う必要ないんですね。“ふん、バカが”と、
こう思うてりゃええ」
(2019年8月10日配信)
上記の通り、上岡さんは芸人と反社の関係について「根は一緒」と断言したのです。
この発言に対し、ネット上では賛否両論が巻き起こる事態となりました。
今回は、引退しても今なお絶大な影響力を持つ上岡 龍太郎さんについて調べてみました。
上岡龍太郎の引退理由は〇〇だった
引退しても芸能界に絶大な発言力を持つ上岡さんですが、なぜ彼は引退を決断したのでしょうか?
そこで、引退理由を調べたところ、”ある意外”な出来事が原因だったのです。
ある時、
新幹線にて次のレギュラー番組で共演予定の若手芸人と遭遇した上岡。2人は当然
「これからよろしくお願いします」
と挨拶をします。
上岡も「よろしく」と返すのですが、
そこから話題が続きません。
その時に彼はふと、過去を想起します。
そういえば、
自分が若手の頃も共通の話題がなくて困った大御所がいたな、と。そして自身がいつの間にか、
その大御所と同じ立ち位置に来てしまったのだと痛感したのです。
※「90sチョベリー」より引用
(2016年5月22日配信)
もちろん、これだけが引退を決意した理由ではありません。
本人によれば、以下のような理由も引退に関係していたようです。
(1)滑舌が悪くなった
(2)年齢により外見が衰えた
しかし、上岡さんの中で若手芸人との距離感が引退の大きな理由になっていたようです。
島田紳助との関係や今
島田紳助さんは上岡さんを”心の師”と慕し、2019年現在でも交流が続いています。
島田さんは反社会的勢力と関係を持っていたことを理由に芸能界を引退。
55歳で第一線を退くことになりますが、師匠の上岡さんは58歳で芸能界を引退しました。
しかし、師匠の引退を前にした島田さんは、必死でそれを制止したのです。
上岡を師と仰ぐ島田紳助。
芸について、
司会について多くを学んできたこの大御所に、「芸能界での道標を失ってしまう。
引退を考え直してくれ」
という旨の手紙を送ります。
すると上岡からはこんな返信が。
「ずいぶん前から君は僕の前を走っているんだよ」。
紳助は涙が止まらなかったと言います。
※「90sチョベリー」より引用
(2016年5月22日配信)
島田さんが芸能界の頂点を極めたのは、「上岡 龍太郎」という道標がいたからこそだったのです。
息子の小林聖太郎が急死した!?
上岡さんの息子は「小林 聖太郎(しょうたろう)」さんと言い、映画監督を務めています。
2019年現在においても存命ですが、一部からは「急死した」という声が上がっています。
そこで、この誤情報の出所を調べたところ、「大空テント」さんが関係していることが分かったのです。
漫談家として活動していたテントさんは、2016年に急死しています。
実は、テントさんは上岡さんに師事しており、2人は”師匠”と”弟子”という関係でした。
しかし、彼の急死が伝えられたことで、一部の人間が「息子(小林 聖太郎)が急死」というデマを拡散させたことで誤情報が広まったというわけです。
今現在の画像は?
2000年に芸能界を引退した後、上岡さんが姿を現す場は著名人の葬儀などに限られます。
以下の動画に登場する上岡さんは、2015年に撮影されたものです。
落語家・桂 米朝さんの葬儀に出席したのを最後に、それ以降は公の場には現れていないため、この写真が上岡さんの近影となります。
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