【母親は作家/実業家】インドのラッパーBIG DEALは福井県出身!名前は?経歴、プロフィール画像あり

こんにちは坊主です!!

今回は、『BIG DEAL(ビック・ディール)』さんを取り上げます。

皆さんは彼の事をご存知でしょうか?

彼はラッパーとしてインドを中心に活動しており、インド国内では「5本の指に入る屈指のラッパー」と称され、高い評価を受けています。

また彼が動画共有サイト「YouTube」で投稿したミュージックビデオは全世界で”14万回再生”を超えるなど現在一番注目されるヒップ・ホップアーティストとして人気急上昇中です。

今回は世界でも注目されている彼について調べてみました。

スポンサーリンク



インドのラッパーBIG DEALは福井県出身!

冒頭でも掲載しましたが、彼は「BIG DEAL」の名義でインドを拠点に活動し、世界はもとより日本でも注目を集める若手ラッパーとして人気急上昇中です。

そんな彼について調べていくと、彼はインド人の父親と日本人の母親を持つハーフである事が判明しました。

また彼は福井県に本籍があるともされています。

この事について、2017年8月11日に配信された『福井新聞 ONLINE』は次のように報じています。

”福井を愛するラッパーがインドを席巻。
母親が福井市出身で、
生まれ育ったインドを拠点に活躍する
日印ハーフのBIG DEAL(ビッグ・ディール)
本名・荒木サミール理秀(りしゅう)さん(28)。

福井に本籍がある“福井人”だ。”

同紙が掲載している通り、彼はインド人の父親と日本人の母親のハーフである事を報じています。

また今回のこの報道を受けて、彼の母親について感心が集まっています。

彼の母親について調べていくと、母親は作家でありインドで実業家として成功しているとされています。

今回は、彼の母親について調べてみました。

スポンサーリンク



ラッパーBIG DEALの母親は作家/実業家!名前は?画像あり

彼の母親について調べていくと、母親の名前は「李耶シャンカール」さんという方だと判明しました。

彼女はノンフィクション作家として「モハンティ三智江」の名義で活動し、数々の受賞歴があり、またインド・プリーで「ラブ&ライフ」という名前でホテル経営している実業家である事が判明しました。

この事について、『ラブ&ライフ』の公式ホームページは次のように掲載しています。

”夫の故郷のプリーにホテルオープン(「ホテル・ラブ&ライフ」)、
91年新築移転、
以後文筆業と宿経営の二足のわらじで現在に至る。

(中略)

フィクション用の別名義、
李耶シャンカールとしての受賞歴には、
1985年「朱に交われば」で
月刊カドカワ掌編小説大賞優秀賞、

2010年「虹の魔窟のブローカー」で
第7回銀華文学賞奨励賞、

2012年「インド移住まで―天の配剤」で
第9回文芸思潮エッセイ賞奨励賞、

2013年日刊県民福井主宰のふくい新進文学賞の佳作賞
「ゆきのした秘恋」”

同サイトの通り、彼女は作家として数々の功績を収め、またインドでホテルを経営し実業家として活動していると掲載されています。

彼女は現在でも作家として活動しており、2014年には自伝「涅槃ホテル」を出版しています。

スポンサーリンク



ラッパーBIG DEALの経歴、プロフィールあり

彼はインドはもとより世界各国で注目を集める若手ラッパーとして活躍しており、やはり経歴などに関心が集まっています。

今回は、彼のプロフィールや経歴(学歴)などを調べてみました。

彼が音楽活動を目指したきっかけは、英語スクールに通っていた13歳の時にアメリカで人気のラッパー「エミネム」さんの音楽に出会い、自身の生い立ちや悩み、苦悩を赤裸々に綴ったラップに共感し自身の感情をラップで表現したいと想い、独学でリズムや韻を覚えたとされています。

一度音楽活動を諦めたものの、プロへの夢を叶えるため地道に活動し、その活動が注目されるようになり24歳の時にプロとしてデビューを果たします。

デビュー後、彼のラップスキルやインド国内の社会問題などをテーマに数々の楽曲を制作し、その完成度の高さから、2016年にインドのエンターテイメント関連の企業が主催するコンテストで「ベスト・ヒップホップ・アーティスト賞」を受賞し彼は一躍有名になりました。

その後彼は、母親の出身地でもある福井県を訪れ、訪日外国人客の増加につなげようと、英語のラップソング「FUKUI LOVE」を制作、発表しました。

この事について、上記でも引用した『福井新聞ONLINE』では以下のように掲載しています。

”子ども時代、
英語スクールに通っていた13歳の頃に出合ったのが
米国の人気ラッパー、
エミネムさんの音楽だった。

自身の生い立ちを赤裸々に歌うラップは、
悩みや苦しみを抱える思春期の少年の心に響いた。

「ラップで自分の感情を表現したい」。

夢中で曲を聴きまくり、
リズムや韻の合わせ方を独学で覚え、
曲作りに没頭する日々を送った。

一度は堅実な道を選んだものの、
プロへの夢を諦めず、
音楽活動を続けた。

徐々にマスコミにも注目されるようになり、
2013年の24歳の時、
念願のプロデビューを果たした。

16年にインドのエンターテインメント関連企業主催のコンテストで
ベスト・ヒップホップ・アーティスト賞を射止め、
一躍名を広めた。

「国内で5本の指に入る」

「若い頃のエミネムを思わせる
世界的スケールのアーティスト」

などと高い評価を受ける。

(中略)

インバウンド(訪日外国人客)増につなげようと、
英語のラップソング
「FUKUI LOVE」を、
来日に合わせて書き下ろした。”


2017年8月11日配信