こんにちは坊主です!!
今回は、『吉井守(よしいまもる)』さんを取り上げます。
皆さんは彼の事をご存知でしょうか?
彼は、世界的有名なイギリスのバンド「The Beatles(ザ・ビートルズ)」のコピーバンド「The Parrots(ザ・パロッツ)」のリーダーを務め、”チャッピー吉井”の名義で活動していました。
彼が活動していたパロッツは、日本はもとより欧米での人気も高く、様々な著名なアーティストから支持を得ていました。
そんな有名な彼が、ここに来て大きな注目を集める事となりました。
それは彼の訃報です。
彼は、2017年9月12日に急性心筋梗塞のため死去していた事が報じられ世間の注目を集めています。
今回は、そんな彼について調査してみました。
死因:急性心筋梗塞 吉井守が死去!
冒頭でも掲載しましたが、彼はビートルズのコピーバンド「パロッツ」のリーダーを務め、人気を博していました。
しかし2017年9月12日に急性心筋梗塞のため、死去した事が報じられ世間の注目を集めています。
この訃報を報じたのは『スポーツ報知』です。
2017年9月13日に配信された同紙は次のように報じています。
”ビートルズのコピーバンドとして
世界的にも知られる「ザ・パロッツ」のリーダー・吉井守さんが
12日午後、
急性心筋梗塞のため亡くなったことが13日分かった。62歳だった。
バンドの公式フェイスブックで発表された。
パロッツはビートルズを完全コピーするバンドとして
1990年4月に結成。吉井さんはジョン・レノン役だった。
東京・六本木のライブハウス「キャバーン・クラブ」で活動し話題に。
その後、
同じく六本木のライブハウス「アビーロード」に活動拠点を移した。(中略)
葬儀などは親族のみで行い、
23日午後3時から「アビーロード」で「献花の会」を行うとしている。”
同紙が掲載している通り、彼は心筋梗塞のため2017年9月12日に死去していた事を報じています。
また今回の訃報を受けて、彼の私生活について感心が集まっています。
彼に家族(嫁,子供)は居たのでしょうか?
そこで、今回は彼の私生活について調査してみました。
吉井守の結婚歴や家族(嫁,子供)は?
今回の訃報で大きな注目が集まる彼ですが、ネット上では彼の私生活について大きな関心が集まっています。
そこで彼の私生活を調査しましたが、彼の私生活は公表されていません。
彼が運営していたブログ『チャッピー吉井のまぁお茶でも飲んでいき~』内を調査しましたが、家族に関する記述はされていませんでした。
彼の年齢(62歳)を考えれば、妻(嫁)や子供が居ても不思議ではありません。
しかしネット上に彼の家族に関しての情報は掲載されていないため、彼の家族の有無は不明です。
彼の家族について公表され次第、随時記事を追記していきます。
吉井守の経歴,プロフィールあり
今回の訃報を受けて、私生活に次いで関心が集まっているのは、経歴やプロフィールなどです。
しかし彼のWikipediaは制作されていないため詳細な情報は不明ですが、経歴を調査したところ以下の事が判明しました。
彼は兵庫県の出身で、1990年にバンド「The Parrots(ザ・パロツツ)」を結成しています。
同バンドは、ビートルズナンバーを完全にコピーするバンドとして結成され、その完成度の高さから日本はもとより欧米などで人気を得ています。
1994年には、イギリスで毎年開催されている世界最大のビートルズ・ファンフェスティバル「ビートルズ・コンペンション」に初出場を果たし、その後、2000年には同フェスティバルのトリを務めるなど、輝かしい功績を収めています。
また同バンドのファンを公言するのは、ビートルズのメンバー「ポール・マッカートニー」さんを初め、イギリスの有名バンド「OASIS(オアシス)」の元ギター兼ボーカルの「ノエル・キャラガー」さんなどの世界的有名なアーティストがファンだとされています。
またポール・マッカートニーさんに、2013年に来日中にプライベートパーティーに招待され、本人とボーカル共演を果たし、世界的なニュースとなりました。
この事について、ウェブサイト『ABBEY ROAD』には以下のように掲載されています。
”1990年4月に、
吉井 守(John)を中心に「パロッツ(The Parrots)」を結成。都内のライブハウスで活動を開始。
その後「Abbey Road」オープンと同時に
活動拠点を移しレギュラーバンドとなる。「パロッツ(The Parrots)」の話題は海を越え
英国BBCからの取材など、
各メディアから注目を集め、
1994年8月には、
英国Liverpool(リヴァプール)で毎年行われている世界最大のビートルズ・フェスティバル
「ビートルズ・コンベンション」に、
東洋初の出場を果した。1996年、
1997年には、
同コンベンションより正式招待を受け、
本場リバプールのファンからも大喝采を浴びる。2000年のコンベンションではトリを務めるまでに至った。
(中略)
2013年11月、
来日中のPaul McCartneyのプライベートパーティーに招待され
約1時間の演奏。「I Saw Her Standing There」では、
Paul本人のヴォーカルで共演を果たした。後にこのパーティーの内容が彼の公式サイトで公表され、
世界中でニュースとなる。
(更に後、彼の公式ツアーパンフレットに掲載)”
最近のコメント