こんばんは『坊主(ボウズ)』です!!
今回は、タレント『小林麻央(こばやしまお)』さんを取り上げます。
彼女は、「セントフォース」に所属し
タレント業以外にも、”女優”や”キャスター”等で活躍していました。
2003年にフジテレビテレビ系情報番組「めざましどようび」で
お天気キャスターを務め、おっとりとした性格から
男性はもとより女性からも人気を集め、一躍有名になります。
その後、女優業に転身し各局のテレビドラマ等に出演。
2010年には、「市川海老蔵」さんと婚約を発表し
美男美女カップルの結婚で世間の注目を集めました。
2016年に彼女は、乳がんを患っているこが、夫・海老蔵さんから公表されました。
その彼女が、2017年6月22日に自宅で看取られつつ死去した事が
公表され、ファンから悲しみの声が上がっています。
今回は、その事について調べてみました。
小林麻央さん死去/乳がん 市川海老蔵が記者会見!
彼女が乳がんを患ったのは2016年の事です。
彼女は医療機関で
人間ドックを受けた際に発覚されたといいます。
その事について
2016年7月14日に配信された『NEWS ポストセブン』は次のように報じています。
”会見に挑んだ歌舞伎役者
市川海老蔵の顔は神妙だった。「麻央から聞いて途方に暮れました」、
「進行具合に関してはかなりスピードの速いもので、
なかなか大変なもの」、「比較的深刻な状況」──。
1年9か月前に人間ドックで発覚した
妻・小林麻央の乳がん。突然の発表と、病状について語られた内容に
世間からは驚きと心配の声があがった。”
同紙が報じている通り、海老蔵さんから語られています。
彼女は摘出手術を行わず、
抗がん剤治療を続けていました。
しかし、2017年6月22日に容体急変し
34歳という若さで死去されました。
この事について
夫・海老蔵さんは翌日23日に記者会見を開き
彼女の死去について語りました。
”がん闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが
34歳の若さで22日に亡くなった。夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵が23日、
舞台公演中の東京・渋谷のシアターコクーンで会見し、
「昨日夜に妻麻央が旅立ちました」
と大粒の涙を流しながら最愛の妻の事を伝えた。麻央さんは息を引き取る直前に
「愛してる」と口にしたという。黒いスーツ姿で姿を見せた海老蔵は
「このたびわざわざ報告するようなことではないんですけれども、
家の前にも多くのマスコミの方いらっしゃいまして、
ご報告するのも義務かと思っております。昨日夜に妻麻央が旅立ちました」と伝えた。
麻央さんは21日はしゃべることができたが、
22日になるとしゃべることができなくなっていた。(中略)
最期に私が前に座って、
最期に『愛してる』と。“る”は聞こえたか分からないんですが、
愛してると」と話すと大粒の涙がとめどなくあふれ、
手で涙をぬぐった。”
※一部改変
同紙が報じている通り、上記の内容を語られています。
この記者会見の内容が報道され
ファンの方から悲しみの声が上がっています。
姉・小林麻耶との強い絆!
彼女の姉でフリーアナウンサー「小林麻耶」さんは
双子のような姉妹で、仲が良い事で知られています。
彼女の闘病中、献身的な看病を続けていました。
この事について
2017年6月23日に配信された『サンスポ』は次のように報じています。
”麻央さんの姉でフリーアナウンサー小林麻耶は、
献身的な看病を続けてきた。最近は麻央さんと同居。
在宅治療に切り替えた麻央さんを支えるとともに、
麻央さんの長女、麗禾ちゃんと
長男、勸玄くんの母親代わりを務めていた。麻耶は過労による体調不良や心労が重なり、
フジテレビ系「バイキング」の生放送中に体調を崩し、
病院へ救急搬送。当時はレギュラー番組5本を抱える中、
妹夫婦の自宅に通い、朝食を作ったり、
2人の子供の世話をしていた。麻耶はその後、休養を取り、
今年4月3日放送のフジテレビ系「バイキング」にVTR出演して
11カ月ぶりに“復帰”。ダウンした時期は麻央さんを支えようと
仕事を調整していた矢先だったといい、
「妹のそばにいたいと思った」と説明した。休養中の生活について、
「自分のペース以外のものについていけなくなってしまって。
3階のエレベーターにも乗れなくなって」と振り返った。麻央さんの病状には「一進一退。1日の中で元気な時間もあれば、
ガクッとなるときもある」と涙ながらに語った。「本当に妹は強いなと思う。
何度も危険な状態があったけど、
乗り越えてくれて、
支えるはずの私たちがいつの間にか引っ張ってもらっていた。妹が常に明るいので、
すごく救われています」4月に再入院した妹を毎日見舞い、
マッサージなどをして献身的に看病してきた。5月に自著のイベントに出席した際は
「日によって体調が違い、
お話ができる日もあれば、
そうでない日もあるんです」と明かした。笑顔を絶やさず、気丈に振る舞っていたが、
最近の体調について聞かれると
「そうですね」と言葉に詰まる場面も。そして「すごく、本当に頑張っています」と声を振り絞った。
最近は麻央さんと同居し、
療養生活を支えていた。「笑いは免疫力がアップする。
これからも思いっきりぶりっ子を演じて、
妹が笑う時間が増えたら」。”
※一部改変
同紙が報じている通り、姉妹の強い絆が窺えます。
麻耶さんの献身的な看病で
麻央さんは沢山笑顔が増えていた事は事実であると言えるでしょう。
結婚の馴れ初めは?
おしどり夫婦と知られる2人ですが
そんな2人の結婚や馴れ初めについて調べてみました。
2人の最初の出会いは
日本テレビ系で放送されている『NEWS ZERO』での
インタビューがきっかけで知り合ったそうです。
この事について
彼女のWikipediaにはこう掲載されています。
”2009年11月19日、
イベントの記者会見で
十一代目市川海老蔵との交際を認めた。交際のいきさつについて、
同日の公式ブログで「日本テレビ『NEWS ZERO』のZEROカルチャーでの
インタビューがきっかけで知り合いました」と記して、
近日中に婚約を行なうことも認めた。また同日の『NEWS ZERO』の番組中、
本人自ら報告を行った。”
この事がきっかけで交際がスタートました。
そして2010年に結婚し、夫婦関係となりました。
彼のプロポーズの言葉は「来世も、再来世も一緒にいよう」という
言葉だそうです。
この事について
2010年1月29日に配信された『eltha』は次のように報じています。
”歌舞伎俳優の市川海老蔵と
フリーキャスターの小林麻央が29日、
都内ホテルで婚約発表会見を開き、
公の場で初めて2ショットを披露した。小林は“一番響いた”プロポーズとして
「来世も、再来世も一緒にいよう!と言われ嬉しかった」と明かし、
平成の“モテ男”も終始デレデレとなった。2人が夫婦として歩むことを決めてからは
それまでの食事デートだけでなく、
お台場へも足を運ぶなど、
ごく普通のカップルとして日々を過ごしてきた様子。結婚会見恒例の「好きな料理」では、
考え込んでなかなかコメントしない海老蔵を見かねた麻央が
耳元で数回ささやき
「えっ、アップルパイ!?」と言わせる一幕も。笑いが起こった会場で海老蔵も
「まだ数えられるぐらいしか(食べていない)」と苦笑いした。リポーターからの“女遊びは芸の肥やし”という流れのなかで、
海老蔵の浮気に焦点が当てられると、小林は「(しないと)信じております。
皆様にもにらみをきかせていただいて。
宜しくお願いします」。続けて「(浮気の心配は)ゼ~ロ~」と出演番組に引っ掛けて笑いを誘った。
対照的に海老蔵は「一生愛し続ける」と取材陣に話しをした。”
※一部改変
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