こんばんは、『坊主(ボウズ)』です!!
今回は、クリエイション『樋口晶之(ひぐちまさゆき)』氏を取り上げます。
彼は、愛知県名古屋市出身で、1970年よりロックバンド「クリエイション」のドラマーとして活躍していました。
アメリカプロレス兄弟チーム「ザ・ファンクス」の入場テーマ曲として使用されていた「スピニング・トー・ホールド」や、日本テレビ系で放送されていた「プロハンター」の「ロンリー・ハート」で知られています。
また彼は、音楽専門学校「アン・ミュージック・スクール」で講師を務めるなど
様々な分野で活躍していました。
そんな彼が、2017年7月3日に死去した事が報じられました。
今回は、彼について調べてみました。
樋口晶之が死去!
彼の訃報を報じたのは『スポーツ報知』です。
2017年7月4日に配信された同紙は次のように報じています。
”1970年代にロックバンド「クリエイション」で活躍した
ドラマーの樋口晶之さん3日に亡くなったことが分かった。クリエイションを手がける
Blue Sky Music代表の小西友彦氏が
フェイスブックで明らかにした。同バンドは70年から80年代にかけて、
日本を代表するロックバンド。米プロレス兄弟チーム「ザ・ファンクス」入場テーマ曲として使われた
「スピニング・トー・ホールド」や、
日本テレビ系ドラマ「プロハンター」のテーマ曲となった
「ロンリー・ハート」で知られる。今年9月には大阪でライブに出演する予定だった。”
同紙が掲載している通り、彼の訃報を報じています。
また彼の訃報を受けて、死因や彼の病気について多くの方が検索されています。
その事についても調べてみました。
病気入院/死因は?
Blue Sky Music代表の小西友彦氏のフェイスブックには
彼は病気を患い、病気療養中だったと投稿されています。
2017年7月4日に投稿した小西氏のフェイスブックにはこう投稿しています。
”訃報
樋口晶之儀。
かねてより病気療養中でありましたが、
薬石効なく7月3日永眠いたしました。ここに生前のご厚誼に深く感謝いたしますとともに
謹んでご連絡申し上げます。”
小西氏は、彼が病気療養中だった事を公表しています。
しかし、彼の死因や病名等は公表しておらず詳細は不明です。
wiki/経歴、画像あり
彼について調べていくと、Wikipediaを発見しました。
今回は、彼のWikipediaの一部をご紹介いたします。
”樋口晶之は、
愛知県名古屋市出身のドラマー。愛知県名古屋市出身。
15歳の頃よりプロとして活動を始め、
70年よりブルース・クリエイション、
クリエイションで約10年間活動し、
フェリックス・パパラルディらとワールドツアーを行う。脱退後フリーで、
カルメン・マキ&OZでコンビだった鳴瀬喜博とChaos、
土岐英史&RioSon、宇崎竜童の竜童組など
数多くのバンドに参加するかたわらジョー山中、
時任三郎、萩原健一、柳葉敏郎、井上堯之などのサポートをつとめる。現在は包国充らとBEATNUTSを、
夏木マリらとGIBIER du MARIを結成し、
メンバー達とのセッションワークのほか
ザ・ゴールデン・カップスやジョー山中のサポートなどで活躍していた。音楽専門の学校
「アン・ミュージック・スクール」で講師を務める。2003年にザ・ゴールデン・カップスの再結成ライブに参加し、
以降もボーカルに専念しているマモル・マヌーに代わり
サポートメンバーとしてドラムスを担当していた。来歴
BLUES CREATION(ブルース・クリエイション)
CREATION(クリエイション)
カルメン・マキ&OZ
竜童組
今村祐司バンド”
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