【死因:胃がん】妹尾隆一郎が死去!結婚歴や家族(嫁,子供)は?経歴や顔画像あり!

こんにちは坊主です!!

今回は、『妹尾隆一郎(せのおりゅういちろう)』さんを取り上げます。

彼といえば、日本を代表するブルースハーモニカ演奏者としてその名前を広く知られています。

彼は、1970年代から2017年現在までミュージシャンとしてライブ活動や楽曲制作を行い、ブルースミュージシャンの先駆者として活躍していました。

また彼は、大人気バンド「サザンオールスターズ」や「PUFFY(パフィー)」など数多くのアーティストのレコーディングに参加し、幅広い年齢層から高い支持を得ていました。

そんな彼が、ここに来て注目を集める出来事が報じられました。

それは彼の訃報です。

彼は、2017年12月21日に死去したと報じられ世間の注目を集めています。

そこで今回は、そんな彼について調査してみました。

スポンサーリンク



妹尾隆一郎が死去!死因:胃がん

冒頭でも掲載しましたが、彼は2017年12月21日に死去したと報じられ世間の注目を集めています。

また彼の死因を調査したところ、彼は胃がんのため、2017年12月17日に死去していた事が判明しました。

この事について、2017年12月22日に配信された『読売新聞』は次のように報じています。

“ブルースハーモニカ奏者の妹尾隆一郎(せのお・りゅういちろう)氏が17日、
胃がんで死去。

68歳。

葬儀は近親者で済ませた。

喪主は長男、
泰隆氏。

大阪市出身。

1970年代からライブ活動を中心に活躍。

歌手の上田正樹さん、
憂歌団、
PUFFYなど多くのアーティストのレコーディングにも参加した。”

同紙が掲載している通り、彼は2017年12月17日に胃がんのため、68歳という若さで死去していた事を報じています。

また今回の訃報を受けて、彼の私生活について感心が集まっています。

上記で引用した「読売新聞」には、喪主を務めるのは長男「泰隆」さんと掲載されている事から彼は結婚している事は明白です。

しかし同紙では、妻についての言及はされていません。

また一部ネット上では、彼に離婚歴があると噂されています。

果たしてその噂は事実なのでしょうか?

そこで今回は、彼の私生活について調査してみました。

スポンサーリンク



妹尾隆一郎の結婚歴や家族(嫁,子供)は?

上記でも記しましたが、読売新聞の報道で彼に家族は居ることは判明していますが、妻についての言及はされていません。

そこで彼の妻について調査したところ、ウェブサイト『妹尾隆一郎 公認サイト』には以下のように掲載されています。

“妹尾隆一郎が、
12月17日午後10時11分に旅立ちました。

あちらでのライブのお誘いを受けたのでしょうか。

あまりにも急いで逝ってしまいました。

生前、
Weeping Harp Senoh を応援して下さいまして
心より感謝申し上げます。

2017年12月20日 妻 妹尾 菊江”

同サイトに記している通り、彼の妻は「菊江」さんである事がわかります。

そこで「菊江」さんの素性を調査しましたが、息子さんと同様に顔などは公表されておらず、詳細な情報は得られませんでした。

また素性調査に伴い、彼と妻「菊江」さんに離婚歴があると噂されている事が判明しました。

この事について、ウェブサイト『5ch』には以下のように掲載されています。

“名無しさん2017/12/22(金)

現嫁は元々は教え子
途中からは教わることよりも妹尾の身の回りの世話をし出すようになり
お互い所帯持ちだったのが離婚して再婚することに
現嫁には前夫との間に子供がいる。

妹尾との間には子供無し
不仲で離婚したわけじゃなさそうだ 。”

同紙が掲載している通り、彼と菊江さんには共に離婚歴があり、再婚であるとされています。

また喪主を務める長男「泰隆」さんは、菊江さんの前夫の子供であると掲載されています。

そこでこの噂を元に真相を調査しましたが、ネット上では詳細な情報はなく、不明です。

あくまでもネット上の噂なので参考程度に留めて置く方がいいと思われます。

追記

ユーザー様のコメントで長男「泰隆」さんは、彼の前妻の息子さんであるとご指摘を受けました。

BLUES様、誠にありがとうございます。

スポンサーリンク



妹尾隆一郎の経歴は?

今回の訃報を受けて、世間の注目を集めている彼ですが、やはり多くの方が彼の経歴について感心が集まっています。

そこで彼の経歴を調査したところ、以下の事が判明しました。

彼は大阪教育大附属高校池田校舎時代からバンドを結成し、音楽に携わっていました。

高校卒業後は、中央大学商学部進学し、ブルースとハーモニカに出会い、そのキャリアをスタートさせます。

1972年には、ブルース界で最も有名な「B.B.キング」氏が来日した公演の前座を務めるなど輝かしい功績を収めます。

その後、ライブ活動や様々な楽曲を発表し、その地位を築きます。

また彼は、音楽活動と並行してハーモニカ教室を開くなど後進の育成にも力を注いでいました。

この事について、彼のWikipediaには以下のように掲載されています。

“大阪教育大附属高校池田校舎時代からバンド活動を始める(ベース担当)。

後輩に伊藤銀次がおり、
当時ビートルズのコピーバンドで、
ベースを弾きながら歌えた人間は少なかったとの証言がある。

上京し中央大学商学部に入学。

フォークソング研究会に入る。

中大フォー研在籍時、
サニー・テリー、
ポール・バターフィールド、
ミシシッピ・ジョン・ハートなどを知り、
ハーモニカに興味を持ち、
その後黒人ブルースとハーモニカにのめり込んで行く。

1972年、
B.B.キング来日時には前座で出演。

1974年9月、
「オフ・ザ・ウォール」を経て
「ウィーピング・ハープ・セノオ&ヒズ・ローラーコースター」を結成。

同年、
久保田麻琴と夕焼け楽団のレコーディングセッションに参加。

(中略)

その後も精力的に活動し、
全国のライブハウスを行脚。

様々なコンサートなどを企画。

また、
自らハーモニカ教室も開き、
後進の育成にも力を注いでいる。”