【裁判その後】マクマーティン保育園:ウェイン・サッツの顔写真画像

時事

こんにちは。坊主です。

今回は、1984年にアメリカで報じられた「マクマーティン保育園事件」を取り上げます。

この事件では、同保育園の関係者数人が児童への性的虐待で逮捕・起訴されています。

400人の児童にも事情聴取が行われ、389人が虐待の事実を証言したのです。

しかし、児童の証言は誘導尋問によるものであることが判明し、この裁判は冤罪であることが明らかになりました。

一体、関係者のその後はどうなっているのでしょうか?

マクマーティン保育園裁判|レイモンド・バッキーのその後

児童虐待を行ったとしてマクマーティン保育園の関係者が次々と逮捕されましたが、その中で特に世間の批判に晒されていたのがレイモンド・バッキー(当時25歳)です。

結果的にレイモンドを含む関係者の疑惑は晴れたものの、この事件をマスコミがセンセーショナルに報じたことで関係者の人生は破壊されてしまいました。

裁判では自身の冤罪を証明したレイモンドでしたが、当初の報道で性犯罪者というレッテルを貼られたことで普通の生活に戻ることはできなくなり、事件後は別の名前に改名し、地元のロサンゼルスを離れたとされています。

また、彼以外の関係者も多額の裁判費用が原因で破産する人間もあり、新しい就職先を見つけることが出来なかったようです。

なお、性的虐待の証言を引き出すために誘導尋問された児童は記憶は混乱してしまい、自分が本当に虐待されたと勘違いするケースも見受けられました。

そのため、裁判では冤罪が認められたレイモンドを今でも恨み続けている人間も存在しているのです。

ウェイン・サッツの顔写真画像

冤罪が生まれた大きな原因はマスコミの暴走でした。

特に、ウェイン・サッツ(Wayne Satz)というリポーターが児童への性的虐待をセンセーショナルに報道したことで、レイモンドたちへのバッシングが激化したのです。

ウェイン・サッツの顔写真

https://alchetron.com/Wayne-Thomas-Satz

また、児童の証言を誘導尋問で引き出したキー・マクファーレン(Kee MacFarlane)というセラピストの存在も看過できません。

今回の冤罪事件はこの2人が中心となって引き起こされたのです。

また、後になってこの2人が恋人関係であることが明らかになりました。

つまり、ウェイン・サッツはキー・マクファーレンから得た情報を根拠に児童虐待を報道し続けていたというわけです。