こんにちは。坊主です。
今回は、日本舞踊の元舞手で人間国宝の吉村雄輝さんを取り上げます。
吉村さんは1998年に死去されていますが、彼の息子はタレントの池畑 慎之介さんなのです。
2024年10月28日放送の「徹子の部屋」に、池畑さんが出演されます。
一体、吉村雄輝さんとはどんな人物なのでしょうか?
池畑 慎之介の父|父親:吉村雄輝の死因・年齢・画像は?
池畑さんのインスタグラムにより、父・吉村さんの顔写真(画像)が確認されました。
吉村さんは1998年1月29日に死去されていますが、この投稿では具体的な死因には触れられていませんでした。
一体、吉村さんの死因は何だったのでしょうか?
そこで、死因について調べたところ、心筋梗塞であることが分かったのです。
1997年(平成9年)11月には文化功労者に選ばれ、次は文化勲章かと期待されたが、直後の1998年1月29日、心筋梗塞で急逝した。
74歳没。
■「https://ja.wikipedia.org/wiki/吉村雄輝」より引用
上記の通り、吉村さんは74歳で死去されていました。
亡くなる直前には文化功労者に選ばれており、今後の活躍が更に活躍されている時期でもありました。
親子の間に確執があった
吉村さんは人間国宝に選ばれるほどの実力者でした。
しかし、日本舞踊に対する姿勢は誰よりも厳しく、「鬼の雄輝」とも評されていました。
その指導の厳しさは実子である池畑さんも例外ではなく、彼が3歳の時から舞台に立たせていたのです。
吉村さんは池畑さんを跡取りにしようと考えていたため、彼が幼い頃から英才教育を施しており、幼い息子を竹の棒で叩くなどの行為は日常茶飯事だったようです。
さらに、吉村さんは「跡継ぎなんやから、わての敷いたレールに乗っかったらええねん」と口にしていて、池畑さんを幼稚園にすら通わせていませんでした。
吉村さんが芸事に実直であるがゆえに、次第に家族関係に亀裂が生じるようになり、池畑さんが6歳の時に奥さんと離婚しています。
池畑さんにはお姉さんもいますが、両親が離婚したことで子供2人は母親に付いていくことを決断し、母親の実家がある鹿児島県に移住することになりました。
その後、池畑さんは母親を喜ばせたい一心で勉強に励み、名門校であるラ・サール中学校に進学しています。(※①)
しかし、寮生活の環境に耐えられなかったため、鹿児島市立 城西中学校に転校しています。
ただ、池畑さんは都会への憧れを捨てきれなかったため、中学3年生の秋に家出をして上京し、東京の表参道にある「ゴーゴーバー」で勤務することになりました。(※②)
●https://mayuri.hatenadiary.com/entry/shinnosuke-ikehata-transcends-gender
ところが、父親の知り合いに見つかってしまい、彼の家出生活は1ヵ月で終焉を迎えることになっています。
なお、この時に父親と10年ぶりに再会したことで家族会議が開かれ、両親は復縁することになり、今度は家族で大阪に移住することになりました。
こうして再び家族で暮らすことになったわけですが、それでも父親は芸事には厳しく、池畑さんは再び日本舞踊の稽古に明け暮れることになります。
その後、池畑さんは桃山学院高校に進学しましたが、父親への反発心から再び家出をし、前回勤務していたゴーゴーバーで働くようになりました。
そんな中、1968年12月、舞台美術家の浅倉 摂さんから「映画に出てみないか?」と誘われ、これがきっかけとなって、タレントとしての人生がスタートしたのです。
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