【死因:すい臓がん】翻訳・演出家,青井陽治が死去!結婚歴や家族(嫁,子供)は?Wiki経歴,画像あり!

こんにちは坊主です!!

今回は、『青井陽治(あおきようじ)』さんを取り上げます。

皆さんは彼の事をご存知でしょうか?

彼は日本の翻訳・演出家として「ラヴ・レターズ」や「真夜中のパーティ」などの作品を手掛け、日本の演劇界に大きな貢献を果たしていました。

そんな彼が2017年9月1日にすい臓がんのため死去していた事が報じられた事で世間の注目を集めています。

今回は、彼について調査してみました。

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翻訳・演出家,青井陽治が死去!死因:すい臓がん

冒頭でも掲載しましたが、彼は2017年9月1日にすい臓がんのため死去した事が報じられ、世間の注目を集めています。

彼の訃報を報じたのは『スポーツ報知』です。

2017年9月2日に配信された同紙は次のように報じています。

”朗読劇「ラヴ・レターズ」の演出を始め、
芝居やミュージカルなど演劇界で活躍した青井陽治(あおい・ようじ)さんが
1日午前11時32分、
膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。

69歳だった。

葬儀告別式は5日午前10時半から
東京・杉並区の築地本願寺和田堀廟所で営まれる。

喪主は妹・青木裕美さん。

通夜は故人の希望により親族だけで執り行う。”

同紙が掲載している通り、彼はすい臓がんのため2017年9月1日に死去していた事を報じています。

また今回の訃報で、彼の私生活について感心が集まっています。

彼には家族は居たのでしょうか?

今回は、彼の私生活について調査してみました。

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翻訳・演出家,青井陽治の結婚歴や家族(嫁,子供)は?

上記でも掲載しましたが、今回の訃報を受けて、世間では彼の私生活について多くの関心が集まっています。

彼には結婚し妻や子供はいたのでしょうか?

そこで、彼の私生活を調査しましたが、彼の私生活についての情報は一切掲載されていませんでした。

彼の年齢(69歳)を考えれば結婚歴や子供が居ても不思議ではありません。

しかし上記で引用した「スポーツ報知」には、喪主を務めるのは妹の「裕美」さんだと掲載されています。

一般的に喪主というのは、妻や子供である故人との血縁関係が深い順序の人物が執り行うものです。

この事から、彼は独身であり子供はいない可能性が高いということになります。

また彼は以前結婚していて離婚をしている可能性も少なからずあります。

しかし私生活が公表されていないため、このような事を断定する事は出来ません。

私生活が公表され次第、随時記事を追記していきます。

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翻訳・演出家,青井陽治のWiki経歴あり

今回の訃報で死因や私生活に次いで多く関心が集まっているのは彼の経歴についてです。

冒頭でも掲載していますが、彼は翻訳・演出家として数々の作品を手掛け、現代劇やミュージカルに大きな貢献を残した事で知られています。

また彼は俳優としての活動経験を持ち、劇団四季に入団していました。

劇団四季といえば、日本はもとより世界各国からも絶大なる人気を誇る劇団として知られています。

また同劇団は、日本にあまり馴染みがなかったミュージカルを定着させた劇団でもあります。

彼はその劇団に入団し俳優や翻訳家として活動していました。

その後同劇団を退団し、フリーの翻訳・演出家となり、アメリカ現代劇やミュージカルの翻訳に取り組みました。

主な作品としては「ラブ・レターズ」(朗読劇)などがあり、1990年代に俳優の「役所公司(やくしょこうじ)」さんと女優「大竹しのぶ」さんを主演に第1回が開始され、2017年現在でも配役を変えながら約500回の上演を重ねる劇として知られています。

この事について彼のWikipediaには以下のように掲載されています。

”青井陽治(あおいようじ)は、
日本の翻訳家、
演出家。

日本演出者協会理事。

神奈川県出身。

国際基督教大学中退。

1969年劇団四季の演劇研究所に入り、
俳優、
翻訳者として活動。

1976年フリーとなり、
アメリカ現代劇やミュージカルの翻訳・演出にとりくむ。

上演作に
「真夜中のパーティ」
「陽気な幽霊」
「ラヴ・レターズ」など。”

同サイトには上記のような内容で掲載されています。

また2017年9月2日に配信された『スポーツ報知』には以下のように掲載されています。

”89年米国初演の「ラヴ・レターズ」日本初演を
手掛けたことでも知られる。

再会した幼なじみの恋物語で、
男女の俳優がイスに座った状態で進行するシンプルな作品。

90年に役所広司、
大竹しのぶで第1回が始まり、
配役を変えて約500回の上演を重ねる。

昨年8月に東京・パルコ劇場の最終公演でも上演され、
青井さんは初回から一貫して演出に立ち会っていた”