【家族構成】桐島聡の結婚や嫁妻子供は?

時事

こんにちは。坊主です。

今回は、極左テロ組織「東アジア反日武装戦線」の桐島 聡(さとし)を取り上げます。

2024年1月26日、神奈川県 鎌倉市内の病院に桐島を名乗る人物が入院しているという情報が公安警察に寄せられ、その身柄が確保されました。

一体、桐島 聡とはどんな人物なのでしょうか?

桐島 聡の家族構成|結婚や嫁妻子供は?

テロリストとして公安警察から常にマークされていた桐島ですが、現在のところ、結婚や家族(妻・子供・きょうだい)の存在は確認されていません。

桐島は姿を晦ます前の1975年5月31日に父親に電話をしており、その際に「岡山に女と一緒にいる」などと話していたことが確認されています。

ただ、桐島がこの女性と結婚したという事実は確認されていないのです。

桐島は逃亡生活を余儀なくされていたことから、たとえ当該女性と現在でも交流があったとしても、正式に結婚(入籍)することは困難だったはずです。

そのため、桐島の逃亡を手助けしていたのは家族(妻・子供・きょうだい)などの血縁者ではないでしょう。

ちなみに、あるブログでは桐島の子供として「ケント」という名前が記載されていました。

でも、

家を出る前にツイッターに出る時刻を書いたしまったら‥

郵便局の配達員が来てしまい‥

桐島聡の子供(ケント)が配達してました。

※「https://ameblo.jp/nayunayu5172/entry-12701289792.html」より引用

ただ、桐島に息子がいるという事実は確認されていないことから、これは何かの誤りだと思われます。

世間の反応

日本の警察の捜査能力はは優秀だと言われ、世の中これだけ情報化社会になっても約50年間に渡り身分を隠して潜伏生活が出来たというのが驚き。

その逃走を支援してきた人物や組織が必ず存在するはずなので、そちらを解明するのが重要な課題だろう。

子どもの頃から交番の指名手配の張り紙で見ていた顔ですね。

他の手配犯が捕まり、更新されていく中でずっとこの顔だけはあったように思います。

この人の支援者や背後関係が明らかになる事を願います。

DNA鑑定をするくらいだから、面影も残っていないのだろうな。

49年という歳月が流れ死期を悟った桐島は本名を名乗り、最後に自分の存在を世間に知らしめたかったのだろう。

テロリストとして追われ、身を隠した人生、彼にとって49年は何だったのだろう?

半世紀前、日本が高度成長期に入り活気あふれる時代に突入するときだった。

過激派のニュースが多かった記憶がある。

あさま山荘事件・よど号ハイジャック事件そして連続企業爆破事件。

時の流れは速いもので、歳取るはずだ。

※「Yahoo!ニュース」より引用