【手榴弾】葛根廟事件:浅野良三(参事官)の顔写真は?

時事

こんにちは。坊主です。

今回は、「葛根廟(かっこんびょう)事件」を取り上げます。

1945年8月14日、満州国 興安総省にある葛根廟付近にて、日本人の避難民がソ連軍によって虐殺されました。

補足

「葛根廟」は当時の呼び名であり、
現在では中国内にある”モンゴル自治区”を指します。

虐殺された日本人は1,000人以上にも及び、そのほとんどが女性や子供でした。

ただ、葛根廟事件については歴史観の違いから、各国で異なる見解がなされています。

一体、葛根廟事件とはどんな事件だったのでしょうか?

葛根廟事件の内容とは?当時の写真や画像は?

葛根廟事件の概要について、橋本琴絵は自身のTwitterで次のように解説しています。

上記の通り、同事件では小学生までもが虐殺されていたのです。

さらに、ソ連軍は手榴弾による虐殺も行っていたようです。

一部の避難民は奇跡的に虐殺を免れましたが、終戦後も生存者への略奪や暴行は続いていました。

また、生き残った避難民は中国残留孤児になり、人身売買の対象にもなっていたのです。

事件現場は正に地獄と化していましたが、当時の写真や画像などはネット上に残されていませんでした。

葛根廟事件の英語名である「The Gegenmiao massacre」で検索しても、虐殺の様子を収めた写真はヒットせず、以下の写真が確認されただけに留まっています。

https://twitter.com/patriotismforJP/status/1554855304566697984

虐殺の写真(画像)が1件もヒットしないことから、それらの写真を記録されていないのか、もしくは外部に流出していないと考えられます。

世間の反応

葛根廟事件について調べたけど、胸糞悪すぎ。

人間はここまで残酷になれるのか…

本当の悪魔は人間で間違いないな。

葛根廟事件って初めて聞いたけど、
もっと有名になるべきだと思った。

浅野良三参事官の顔写真は?手榴弾で避難民を殺害した?

事件発生当時、避難民を率いていた人物がいました。

それが「浅野良三」という人物で、「興安総省 旗公署」の参事官を務めていました。

浅野参事官が率いる避難民が葛根廟に到達したところ、ソ連軍と遭遇します。

浅野参事官は交戦の意志がないことを伝えるために、白旗を掲げました。

しかし、ソ連軍はこれを無視して浅野参事官に機関銃を斉射したのです。

これにより浅野参事官は死亡し、ソ連軍による虐殺が開始されました。

ただ、中国側は浅野参事官について以下のように言及しているのです。

浅野参事官は大きな溝に飛び込むよう命じると同時に、溝に手榴弾を投げ込んだ。

この爆発で死亡しなかった避難民を、銃剣で突き殺した。

※「https://ja.wikipedia.org/wiki/葛根廟事件」より引用

これが真実であれば、浅野参事官も避難民の虐殺に加担していたことになります。

しかし、これは中国側の見解であり、そのような事実は確認されていないことに注意が必要です。

なお、浅野参事官の写真(画像)は確認されておらず、その素顔や経歴は不明となっています。