こんにちは。坊主です。
今回は、「葛根廟(かっこんびょう)事件」を取り上げます。
1945年8月14日、満州国 興安総省にある葛根廟付近にて、日本人の避難民がソ連軍によって虐殺されました。
「葛根廟」は当時の呼び名であり、
現在では中国内にある”モンゴル自治区”を指します。
虐殺された日本人は1,000人以上にも及び、そのほとんどが女性や子供でした。
ただ、葛根廟事件については歴史観の違いから、各国で異なる見解がなされています。
一体、葛根廟事件とはどんな事件だったのでしょうか?
葛根廟事件の内容とは?当時の写真や画像は?
葛根廟事件の概要について、橋本琴絵は自身のTwitterで次のように解説しています。
77年前の今日,日本人小学生200名以上と日本人女性900名以上が刃物で乳房を切り取られ,膣に手榴弾を入れられ,殺害されました。赤ちゃんを抱いたお母さんは,生きたまま赤ちゃんと一緒に車で引きずり回され,内臓が飛び出しました。犯人は,共産主義者です。
葛根廟事件といいます。
— 橋本琴絵 (@HashimotoKotoe) August 13, 2022
上記の通り、同事件では小学生までもが虐殺されていたのです。
さらに、ソ連軍は手榴弾による虐殺も行っていたようです。
一部の避難民は奇跡的に虐殺を免れましたが、終戦後も生存者への略奪や暴行は続いていました。
また、生き残った避難民は中国残留孤児になり、人身売買の対象にもなっていたのです。
事件現場は正に地獄と化していましたが、当時の写真や画像などはネット上に残されていませんでした。
葛根廟事件の英語名である「The Gegenmiao massacre」で検索しても、虐殺の様子を収めた写真はヒットせず、以下の写真が確認されただけに留まっています。
https://twitter.com/patriotismforJP/status/1554855304566697984
虐殺の写真(画像)が1件もヒットしないことから、それらの写真を記録されていないのか、もしくは外部に流出していないと考えられます。
世間の反応
葛根廟事件について調べたけど、胸糞悪すぎ。
人間はここまで残酷になれるのか…
本当の悪魔は人間で間違いないな。
葛根廟事件って初めて聞いたけど、
もっと有名になるべきだと思った。
浅野良三参事官の顔写真は?手榴弾で避難民を殺害した?
事件発生当時、避難民を率いていた人物がいました。
それが「浅野良三」という人物で、「興安総省 旗公署」の参事官を務めていました。
浅野参事官が率いる避難民が葛根廟に到達したところ、ソ連軍と遭遇します。
浅野参事官は交戦の意志がないことを伝えるために、白旗を掲げました。
しかし、ソ連軍はこれを無視して浅野参事官に機関銃を斉射したのです。
これにより浅野参事官は死亡し、ソ連軍による虐殺が開始されました。
ただ、中国側は浅野参事官について以下のように言及しているのです。
浅野参事官は大きな溝に飛び込むよう命じると同時に、溝に手榴弾を投げ込んだ。
この爆発で死亡しなかった避難民を、銃剣で突き殺した。
※「https://ja.wikipedia.org/wiki/葛根廟事件」より引用
これが真実であれば、浅野参事官も避難民の虐殺に加担していたことになります。
しかし、これは中国側の見解であり、そのような事実は確認されていないことに注意が必要です。
なお、浅野参事官の写真(画像)は確認されておらず、その素顔や経歴は不明となっています。
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