こんばんは『坊主』です!!
今回は、『小川岟一(おがわよういち)』氏を取り上げます。
皆さんは小川氏の事をご存知でしょうか?
小川氏は、 樺太大泊町谷町(現サハリン州コルサコフ市)で生まれ、戦後にサリハンに残留した日本人の永住や一時帰国を支援する団体”日本サリハン同胞交流会(現日本サハリン協会)”を設立し、活動していた事で知られています。
1989年にこの団体を設立し、1991年にはこの活動が認められ、外務大臣賞を授与された事で世間の関心を集めます。
1992年にこの活動を活発化させ、その後小川氏は事務局長、会長と歴任しています。
また小川氏は、自身の体験やこの団体の活動を通じて感じた事を書籍として出版し、ノンフィクション作家として活動していました。
この団体で精力的に活動していた小川氏ですが、2017年7月31日に死去した事が報じられました。
今回は、小川氏について調べてみました。
死因は肺がん 元サリハン協会会長の小川よういちが死去!
冒頭でも掲載しましたが、小川氏は2017年7月31日に”左小細胞肺がん”のため死去した事が報じられました。
小川氏の訃報を報じたのは、『毎日新聞』です。
2017年7月31日に配信された同紙は次のように報じています。
”小川よういちさん85歳。
31日、
左小細胞肺がんのため死去。樺太・大泊(サハリン・コルサコフ)生まれ。
戦後にサハリンに残留した
日本人の永住・一時帰国を支援するため、1992年に日本サハリン同胞交流協会を設立し、
事務局長や会長を務めた。”
同紙が掲載している通り、小川氏は肺がんのため死去した事を報じています。
またこの訃報を受けて、山本氏の家族について多くの関心が集まっています。
そこで今回は、家族についても調べてみました。
小川よういちの家族(嫁、子供)は?
小川氏の家族についてネット上で検索してみましたが、家族についての詳細な情報は掲載されていません。
しかし、上記で引用した「毎日新聞」の記事内に、妻の名前が掲載されていました。
”喪主は妻芳子(よしこ)さん。”
2017年7月31日「毎日新聞」より引用。
同紙が掲載している通り、小川氏の妻の名前は「芳子(よしこ)」さんという事が判明しました。
しかし、子供に関しての情報は一切ありません。
小川氏が会長として務めていた「日本サハリン協会」の公式サイトにも子供に関する情報はありません。
従って、夫妻の子供の有無は不明です。
また小川氏の家族に次いで多く関心が集まっているのは、小川氏の経歴です。
小川氏は日本サリハン協会の会長として様々な功績を収め、多くの方の一時帰国や永住を支援していました。
そこで今回は、小川氏の経歴について調べてみました。
小川よういちのWiki経歴/プロフィール画像あり!
小川氏の経歴についてネット上で調べてみましたが、会長を務めた日本サリハン協会の公式サイトには
経歴やプロフィール等は掲載されていません。
またWikipediaも制作されていないため、詳細な情報はありません。
しかし、2005年に自身が執筆した著書「樺太・シベリアに生きる」を紹介しているサイトに小川氏の経歴が掲載されていました。
小川氏は日本サリハン協会の会長に就任する以前は、日本経済新聞社に勤めていたとされており、日経新聞労働書記長として活動していたと記載されています。
この事について、ウェブサイト『総合書籍出版 社会評論社』は次のように掲載しています。
”小川岟一(おがわ よういち)
1950年4月
衆議院速記者養成所に入所、51年9月に
一級速記士となり
日本経済新聞社に入社。その後57年3月に
中央大学法学部卒業。1959年5月
日経新聞労組書記長として専従。61年から7期新聞労連書記長。
1968年6月
日本経済新聞社に復職。1989年12月
「樺太(サハリン)同胞一時帰国促進の会」創設、
事務局長。旧ソ連に
残されたままの同胞の帰国運動を開始。91年7月
「外務大臣表彰」を受ける。”
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