【病気:すい臓がん】保岡興治が政界引退!結婚歴や息子の現在は?Wiki経歴,画像あり!

こんにちは坊主です!!

今回は、『保岡興治(やすおかおきはる)』氏を取り上げます。

保岡氏といえば、自由民主党所属の衆議院議員としてその名前を広く知られています。

保岡氏は、衆議院議員に就任する以前は弁護士や裁判官を歴任しており、司法出身の法務族議員として1976年当時の首相「田中角栄」氏が逮捕された世界的な大規模汚職事件「ロッキード事件」の弁護士として田中弁護団の一員を務めていた事でも有名です。

そんな経歴を持つ保岡氏ですが、ここに来て注目を集める出来事が報じられました。

それは、保岡氏の政界引退報道です。

保岡氏は、2017年10月10日から行われる衆院選に立候補せず、政界を引退する事が報じられ世間の注目を集めています。

また政界引退の理由は、すい臓がんを患い治療に専念するためだと報じられています。

そこで今回は、保岡氏について調査してみました。

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保岡興治が政界引退!病気:すい臓がん

冒頭でも掲載しましたが、保岡氏は2017年10月10日から行われる衆院選に立候補せずに引退を表明し世間の注目を集めています。

この事について、2017年10月8日に配信された『読売新聞』は次のように報じています。

”自民党の保岡興治・前衆院議員(78)(鹿児島1区)は8日、
鹿児島市内で記者会見し、
10日公示・22日投開票の衆院選鹿児島1区に立候補せず、
引退する意向を表明した。

膵臓(すいぞう)がんと診断されたためで、
治療に専念するという。

保岡氏は記者会見で

「出馬するつもりだったが、
家族や後援会長の説得もあり、
決断した」

と述べた。”

同紙が掲載している通り、保岡氏はすい臓がんを患い治療に専念するため、2017年10月10日から行われる衆院選に立候補せず、政界を引退する事を報じています。

またこの報道を受けて、ネット上では保岡氏の私生活について感心が集まっています。

保岡氏は私生活を公表しているのでしょうか?

そこで今回は、保岡氏の私生活について調査してみました。

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保岡興治の結婚歴や息子の現在は?

上記でも掲載しましたが、今回の引退報道を受けて、保岡氏の私生活について感心が集まっています。

そこで、私生活について調査したところ、ウェブサイト『近現代・系図ワールド』には以下のように掲載されています。

同サイトに掲載されている通り、保岡氏には妻「芳枝」さんと結婚しており、一男一女の父親である事が判明しました。

しかし、素性が公表されているのは、長男の「宏武」氏のみです。

妻の芳枝さんや長女について調査しましたが、詳細な情報は得られませんでした。

またネット上では、長男である「宏武」氏について感心が集まっています。


※Facebookより引用。

上記で引用したサイトでは、2017年現在は父親である「興治」の第一秘書を務めていると掲載されています。

しかし、2017年10月8日に興治は引退を表明しています。

興治氏の引退後の宏武氏は、どうなるのでしょうか?

そこで、宏武氏の今後を調査したところ、上記で引用した『読売新聞』は次のように報じています。

”保岡氏は鹿児島1区で自民党の公認を受けていたため、
党執行部は後継の候補者擁立を急ぐ方針だ。

保岡氏は、
自身の秘書で長男の宏武氏(44)を
擁立したい考えを示した。”

同紙が掲載している通り、興治氏は宏武氏を擁立する考えを表明しています。

その事から、興治氏の後任は長男である宏武氏になる可能性が高いのではないでしょうか?

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保岡興治のWiki経歴あり!

今回の引退報道で、注目を集めている保岡氏ですが、やはり多くの方が経歴に関心が集まっています。

そこで、保岡氏の経歴を調査したところ、Wikipediaには以下のように掲載されています。

”保岡興治は、
日本の政治家、
元裁判官、
弁護士(東京弁護士会所属)。

自由民主党所属の衆議院議員(13期)、
党憲法改正推進本部長、
裁判官訴追委員会委員長。

法務大臣(第69代、第81代)、
裁判官弾劾裁判所裁判長を歴任した。

2016年10月からは裁判官訴追委員会委員長を務めた。

司法の畑を歩き続けてきた法務族議員。

1969年の第32回衆議院議員総選挙で
父・武久が落選し引退を決めたため、
総選挙に立候補することを決め、
仲人の橋本登美三郎の秘書の肩書きを得る。

1972年の第33回衆議院議員総選挙に
奄美群島区から無所属で立候補し、
初当選。

当選後、
自民党に追加公認され田中派に所属する。

1976年にロッキード事件で田中角栄が逮捕されると、
保岡は弁護士として田中弁護団の一員に加わった。

議員としての役職

2007年4月1日から2008年3月31日まで
および2009年4月1日から2009年7月21日まで、
裁判官弾劾裁判所裁判長を務めた。

2016年10月28日からは
裁判官訴追委員会委員長。”