こんにちは坊主です!!
今回は、『谷沢健一(やざわけんいち)』氏を取り合上げます。

健一氏といえば、元中日ドラゴンズ所属のプロ野球選手としてその名前を広く知られています。
健一氏は、1970年から1987年の17年もの間、同チームの主軸打者として活躍し、チームに貢献していました。
引退後は、野球解説者や埼玉西部ライオンズの打撃コーチ等を歴任し、活躍。
2018年現在でも野球に関する事に携わり、2017年から山口県にある誠英高等学校の硬式野球部のアドバイザーに就任しています。
そんな経歴を持つ健一氏がここに来て注目を集める出来事が報じられました。
それは、彼の娘さんである「順子」さんがメジャーリーグ初の日本人女性アスレチックストレーナーに採用されたと報じられ、世間の注目を集めています。
そこで今回は、健一氏の娘さんである「順子」さんについて調査してみました。
谷沢健一の娘(長女)順子がトレーナー!
冒頭でも掲載しましたが、健一氏の娘である「順子」さんが、2018年2月21日にアメリカ・メジャーリーグのアリゾナ・ダイヤモンドバックスのアスレチックトレーナーに採用されたと報じられ、世間の注目を集めています。

この事について、2018年2月21日に配信された『Number Web』は次のように報じています。
“スプリングトレーニングを控えた2月1日、
アリゾナダイヤモンドバックスは新たなチームスタッフを発表した。谷沢順子(マニュアルセラピスト兼アスレチックトレーナー)。
メジャーリーグで初の日本人女性アスレチックトレーナーが誕生した。
これまで日本人男性が採用されたケースはあるが、
女性にとっては狭き門だった。それを谷沢がこじ開けた。
「ダイヤモンドバックスから採用の連絡が来た時はうれしすぎて、
信じられなかった」と振り返る。
高く評価されたのは、
勉強熱心さ。メジャーリーグへの就職活動を始めたのが10月。
吉報を受けるまでの4カ月間は焦りや不安もあった。
今回、
谷沢の採用を決めたヘッドトレーナーのケン・クレンショウは「(アスレチックトレーナーのポジションに)たくさんの応募が来たけれど、
ジュンコは持っている知識を現場で使うことができるし、
何よりも勉強熱心な部分を高く評価した。やる気があるから、
すぐにチームに溶け込むと思う。ただ、
もっといいアスレチックトレーナーになるために、
我々スタッフと密にコミュニケーションをとって技術を磨いてほしい」と大きな期待をかける。
父は元ドラゴンズの谷沢健一氏。”
同誌が掲載している通り、健一氏の娘である「順子」さんは、日本人女性初となるアメリカ・メジャーリーグのトレーナーに採用された事を報じています。
また今回の報道を受けて、ネットでは健一氏の息子さんについても関心が集まっています。
そこで今回は、健一氏の息子さんについても調査していみした。
谷沢健一の息子,一貴の現在!
上記で記した通り、娘さんの順子さんは、日本人女性初となるアメリカ・メジャーリーグのトレーナーに採用され、世間の注目を集めていますが、ネット上では息子さんについても関心が集まっています。
健一氏の息子さんは、2018年現在、いったいどういった活動を行っているのでしょうか?
そこで健一氏の息子さんについて調査したところ、以下の事が判明しました。
健一氏の息子さんは、「谷澤一貴」さんといい、2018年2月現在、父親「健一」氏が2005年に設立した「NPO法人谷沢野球コミュニティ柏」の副部長やウェブ管理などの広報を担当している事が判明しました。
またこの「谷沢野球コミュニティ柏」は別名「Yazawa Beseball Comminity Kashiwa(YBC)」といい、千葉県柏市を拠点に活動する社会人公式野球チームです。
この事について、YBC公式ツイッターには以下のように掲載されています。
“谷澤一貴
元中日ドラゴンズ谷沢健一が設立した、
NPO法人谷沢野球コミュニティ柏公式twitter。YBCフェニーズ副部長・web管理・広報担当。”
同サイトに掲載されている通り、上記のように掲載されています。
また「一貴」さんは、この業務の他にデザイナーとしても活動しており、妻「貴美子(きみこ)」さんと共にテレビCMやミュージックビデオの制作などを手掛けています。
この事について、ウェブサイト『KIDUKU』には、以下のように掲載されています。
“プロフィール
谷澤一貴[やざわかずたか]誕生日
1972年5月10日血液型
B型得意分野
3DCGモデリング、
フォントデザイン、
ロゴデザイン、
映像関連谷澤貴美子[やざわきみこ]
誕生日
1974年8月30日血液型
AB型得意分野
イラスト、
Webデザイン”
同サイトのプロフィールに掲載されている通り、一貴さんには「貴美子」さんという妻が居ることが判明しました。
谷沢健一は星野仙一と確執?
上記で記した通り、娘さんや息子さんの素性は判明しましたが、ネット上では健一氏についても関心が集まっています。
一部ネット上では、2018年1年4月に死去した「星野仙一」氏と確執があったと噂されています。

星野氏といえば、中日ドラゴンズのエースとして活躍し、現役引退後は中日や阪神、楽天で監督を務めるなど、「闘将」と称された名監督として有名です。
また当サイトでは、星野氏についても取り上げています。
詳しくは、こちらをご覧ください。⇒『星野仙一』氏。
そんな経歴を持つ星野氏と健一氏は、確執があったと噂されています。
果たしてその噂は事実なのでしょうか?
そこでこの噂について調査したところ、2010年2月1日の『YAHOO!知恵袋』には以下のように掲載されています。
“質問者
元中日の星野仙一と谷沢健一は
犬猿の仲だと聞きましたが本当でしょうか?回答者
仲は悪いですよ。
1学年星野の方が年上で、
現役時代を共にしています。現役当時星野はチーム内を完全に掌握していて、
チームのほぼ全員が「星野さんに逆らったら自分に未来はない」
と星野派閥に属していました。
その中で谷沢は星野に従属しておらず
星野にとってみれば反乱分子扱い。星野は従属者に
「谷沢とは口を聞くな」
と通達を出していたと言います。
当時若手だった田尾安志によると、
谷沢にちょっと確認したいことがあったので谷沢と話をした際、
すぐにそれが星野の耳に届いて
星野が口を聞いてくれなくなったことがあったそうです(後に誤解は解けたようですが)。星野の監督就任が決まった時点で谷沢はまだ現役でしたが、
下の方が仰るとおり星野は「監督谷沢は選手谷沢を使えるか」
と迫り谷沢は引退に追い込みました。”
同サイトが掲載している通り、現役当時、星野氏はチームの中心人物としてチームをけん引し、健一氏と確執があった事が掲載されています。
また健一氏の引退理由は、星野氏の一言が原因であるもされています。
しかし星野氏は、生前のインタビューで健一氏らの多くのベテランに引導を渡した理由について、以下のように明らかにしています。
“87年の第1期中日監督時代、
谷沢健一ら多くのベテラン選手に引導を渡し、
若き守護神・牛島和彦らを放出してまで4対1のトレードで
ロッテから落合博満を獲得するなど、
大胆なチーム改革を進めた。傍目からは非情とも映ったが、
必ずしもそうではなかった思う。トレードに関して、
こんなことを言っていた。「トレードをするならチームが好成績のときにすべき。
好成績のときは他チームの評価が高くなり、
低迷時には買いたたかれるからな」その選手はチームに残ったほうがいいのか、
移籍先の球団のほうがより輝くのか、
あるいは引退したほうがいいのか。コワモテを装い(?)ながら、
必死に考えていたのだろう。”
※2018年1月12日配信『エンタメウィーク』より引用。
同誌が掲載している通り、健一氏らに引導を渡した理由は、チームの改革のためであると報じられています。
確かに上記で引用した「YAHOO!知恵袋」には、何らかの確執があり、健一氏が引退した理由は、星野氏の一言である事が原因とされていますが、必ずしも確執のため引退に追い込んだわけではないようです。
星野氏は、非情とも思えるような改革を行いましたが、星野氏なりの改革であった事を明らかにしています。
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