【死因:病気?】はしだのりひこが死去!結婚歴や家族(嫁,子供)の現在!確執ありや画像あり!

こんにちは坊主です!!

今回は、『はしだのりひこ』さんを取り上げます。

本名「端田宣彦」。

彼といえば、日本を代表するフォークシンガーとしてその名前を広く知られています。

彼は、同志社大学在学時の1964年に結成されたフォークバンド「ドゥーディ・ランブラーズ」のメンバーとしてデビューを果たしそのキャリアをスタートさせます。

その後、1965年にフォークバンド「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーとして参加し一躍注目を集めます。

しかしこのバンドは同年10月に解散しており、解散後は「はしだのりひことシューベルツ」や「はしだのりひことクライマックス」などのリーダーを務め、ソロに転向しています。

ソロに転向してからもその人気は衰えず、2017年現在でも幅広い年齢層から高い支持を得ており、日本のフォークシーンでは伝説的な存在となっています。

そんな彼がここに来て注目を集める出来事が報じられました。

それは彼の訃報です。

彼は2017年12月2日に死去したと報じられ世間の注目を集めています。

そこで今回は、彼について調査してみました。

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はしだのりひこが死去!死因:病気?

冒頭でも掲載しましたが、日本のフォークシーンで伝説的となっていた彼が2017年12月2日に死去したと報じられ世間の注目を集めています。

この事について、2017年12月2日に配信された『スポニチ』は次のように報じられてます。

“「悲しくてやりきれない」
「帰って来たヨッパライ」などのヒット曲で知られる
「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーだった
歌手のはしだのりひこ(本名・端田宣彦)さんが2日、
死去した。

72歳だった。

はしださんはきたやまおさむ(71)、
亡くなった加藤和彦さんとともに1965年に「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成。

その後、
別グループで「風」「花嫁」がヒットした。

1971年には
「はしだのりひことクライマックス」としてNHK紅白歌合戦に初出場した。”

同紙が掲載している通り、彼は2017年12月2日に死去した事を報じています。

しかし同紙では、彼の死因についての言及はされていません。

そこで彼の死因について調査しましたが、詳細な情報は掲載されていません。

彼の年齢(72歳)を考えれば何らかの病気を患っている可能性があります。

しかし同紙では死因についての言及はされていないため、死因は不明です。

詳細な情報が判明次第、随時記事を追記していきます。

追記

2017年12月2日に配信された『デイリー』では、彼が患っていた病気について報じられていました。

この事について同紙は次のように報じています。

“歌手のはしだのりひこ(本名・端田宣彦)さんが2日午前1時過ぎ、
京都市内の病院で死去した。

72歳。

京都市出身。

関係者によると、
今年5月ごろから白血病を患っていたという。

また、
数年前からパーキンソン病のため、
車いすで療養生活を送っていた。

(中略)

通夜は5日午後7時から、
告別式は6日正午から、
ともに京都市伏見区深草下横縄町25、
セレマ稲荷シティホールで営まれる。

喪主は長男の端田篤人さん。”

同紙が掲載している通り、彼は白血病とパーキンソン病を患っていたと報じられています。

その事から、彼の死因は白血病である可能性が高いと思われます。

しかし同紙もまた、彼の死因については明らかにしていないため、彼の死因については不明です。

また白血病とは、血液のがんと言われており、正常な血液細胞が減少し、貧血や免疫系の働きの低下が起こるといわれています。

この事について、ウェブサイト『がんを学ぶ』には以下のように掲載されています。

“白血病は血液のがんです。

血液細胞には赤血球、
血小板、
白血球がありますが、
これらの血液細胞が骨髄でつくられる過程で、
がんになります。

がん化した細胞(白血病細胞)は、
骨髄内で増殖し、
骨髄を占拠してしまいます。

そのため、
正常な血液細胞が減少し、
貧血、
免疫系のはたらきの低下、
出○傾向、
脾臓(血液を貯蔵しておく臓器)の肥大などの症状があらわれます。

(中略)

白血病は、
がん化した細胞のタイプから「骨髄性」と「リンパ性」に分けられ、
さらに病気の進行パターンや症状から「急性」と「慢性」に分けられます。”


※一部改変

同サイトに掲載されている通り、上記のような症状を発症します。

またパーキンソン病についてはこちらの記事をご覧下さい。⇒『笑福亭仁鶴』さん。

また今回の報道を受けて、彼の私生活について感心が集まっています。

上記で引用した「デイリー」では、喪主を務めるのは長男「端田篤人」さんと掲載さている事から、彼が結婚していて子供が居るのは明白です。

しかしデイリーでは、家族の素性についての言及はされていません。

そこで今回は、彼の家族について調査してみました。

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はしだのりひこの結婚歴や家族(嫁,子供)の現在!

上記でも掲載しましたが、引用したデイリーによって彼に家族が居ることは判明しましたが、詳細な情報は掲載されていません。

また一般的に喪主を務めるのは、血縁関係が深い人物(配偶者や子供)が行うとされています。

しかし彼の場合、喪主は長男「篤人」さんとされています。

2017年現在の彼の妻は居るのでしょうか?

そこで彼の妻について調査したところ、すでに死去していることが判明しました。

この事について、個人ブログ『逆説の歴史イラスト』には以下のように掲載されています。

“今のはしだのりひこ氏は、
奥さんに先立たれて本人は病気療養中で身体自体は元気ですが、
薬の副作用でなかなか思うようには活動できない状態です。”


2012年5月25日投稿

同ブログには、2012年当時にはすでに彼の妻は死去しているとされています。

また妻の死因や素性について調査しましたが、詳細な情報は掲載されていませんでした。

しかし素性調査に伴い、彼の大ヒット曲「花嫁」の歌詞のモデルは、妻である事が判明しました。

この事について、2012年2月17日に配信された『スポニチ』は次のように報じています。

“実はあるカップルの付き合いを見守っていた友人が、
幸せになってほしいとの願いを込めて作った歌詞が大ヒット曲となった。

71年1月10日発売のはしだのりひことクライマックスのファーストシングル「花嫁」の歌詞のモデルは、
後にはしだの妻となる女性だった。

「ザ・フォーク・クルセダース」、
「シューベルツ」と2つのグループでそれぞれ「帰ってきたヨッパライ」「風」と
ヒット曲を連発してきたはしだは、
休みもないほど仕事に明け暮れた。

高校時代からはしだのことが好きだった彼女は彼に会うために、
コンサートが行なわれる街へ訪ねて行くこともしばしば。

それこそ歌詞にある「夜汽車に乗って」、
はしだの時間が空く朝方のデートをすることも珍しくなかった。”

同紙が掲載している通り、「花嫁」の歌詞のモデルは彼の妻でる事が報じられています。

また彼の子供について調査したところ、長男「篤人」さん以外にも長女「新菜」さんが居ることが判明しました。

端田新菜さんは、2017年現在、舞台を中心に女優として活動しています。

この事について、彼のWikipediaには以下のように掲載されています。

“並行して妻の看病に専念したとされる時期もあったことから
「主夫」としての活動が話題になったこともあり、
現在ではその方面での法人団体にも関与している。

(中略)

娘は舞台女優の端田新菜。”

この事から、彼は2児の父親である事が判明しました。

また上記の情報を元に娘さんである「端田新菜」さんについて調査したところ、ウェブサイト『タレントデータベース』は次のように掲載されています。

“端田新菜
芸名フリガナ
はしだ にいな

性別
女性

生年月日
1977

身長
154 cm

靴のサイズ
22.5 cm

プロフィール
舞台を中心に女優として活躍。

1997年、
劇団青年団に入団。

主な出演作は、
舞台『海と日傘』
『カガクするココロ』
『地点』
『さよならだけが人生か』
『びんぼう君~21世紀版~』
『いやむしろわすれて草』、
映画『鍋とともだち』など。

職種
タレント・俳優・女優

趣味・特技
タップダンス/歌”

同サイトの通り、彼の娘さんは2017年現在、舞台女優として活動している事を掲載されています。

しかし長男「篤人」さんは、一般の方という事もあり、顔や職業などは公表されていません。

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はしだのりひこに確執あり?

今回の訃報で世間の注目を集めている彼でが、ネット上では彼と「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバー間に確執があったと噂されています。

果たしてその噂は事実なのでしょうか?

そこでこの噂を調査したところ以下の事が判明しました。

冒頭でも掲載しましたが、彼は1965年に同バンドのメンバーとして活躍し、高い人気を得ました。

しかし同バンドは人気絶頂の1968年に解散し彼は様々なグループのリーダーを経て、ソロに転向しています。

その後、同バンドは2002年に期間限定で再結成を果たしますが、当時彼は参加していません。

この事により、彼とメンバーとの間に確執があったと噂されています。

そこでこの噂の真相を調査しましたが、確信的な情報は得られませんでした。

また彼のWikipediaには以下のように掲載されています。

“フォークルファミリーとは長らく没交渉に近いが、
2001年にドリーミュージックから出したミニアルバムのライナーノーツには
北山修が寄稿している。”

同サイトの通り、やはり何らかの問題があり、フォークファミリーとはかかわりがなかった事が掲載されています。

しかし2001年には、「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーで作詞家の「北山修(きたむらおさむ)」さんが歌詞を寄稿している事から和解しているのではないでしょうか?

確執についての詳細な情報は不明ですが、なんらかの問題があった事は間違いないと思われます。