こんにちは坊主です!!
今回は、『石牟礼道子(いしむれみちこ)』さんを取り上げます。
石牟礼氏といえば、日本を代表する作家としてその名前を広く知られています。
石牟礼氏は、熊本県水俣市で発見された病気「水俣病」を主題に数多くの作品を手掛け、1969年に発刊された「苦海浄土 わが水俣病」で「第1回大宅壮一 ノーフィクション大賞」に選出されます。
また日本国内のみならず海外からの評価も高く、1973年にフィリピンの国際賞「マグサイサイ賞」を受賞するなど数多くの功績を収めています。
そんな華麗な経歴を持つ石牟礼氏ですが、ここに来て注目を集める出来事が報じられました。
それは、石牟礼氏の訃報です。
石牟礼氏は、2018年2月10日に死去した事が報じられ、世間の注目を集めています。
そこで今回は、石牟礼氏について調査してみました。
石牟礼道子が死去!
冒頭でも掲載しましたが、石牟礼氏は2018年2月10月に死去した事が報じられ、世間の注目を集めています。
この事について、2018年2月10日に配信された『時事通信』は次のように報じています。
“水俣病患者の苦しみや尊厳を描いた「苦海浄土」で知られる作家、
石牟礼道子さんが10日未明、
熊本市の介護施設で死去した。90歳だった。”
同誌が掲載している通り、石牟礼氏は2018年2月10日に死去している事を報じています。
しかし同誌では、石牟礼氏の死因についての言及はされていません。
石牟礼氏の死因は公表されているのでしょうか?
そこで今回は、石牟礼氏の死因について調査してみました。
死去した石牟礼道子の死因は病気
上記で記した通り、2018年2月10日に熊本市内の介護施設で死去してしまった石牟礼氏ですが、死因についての公表はされているのでしょうか?
そこで石牟礼氏の死因について調査したところ、2002年頃より「パーキンソン病」を患っていた事が判明しました。
またこのパーキンソン病とは、手の震えなどの動作や歩行が困難になる運動障害を示し、進行性の神経変性の疾患です。
当サイトでは、同じくパーキンソン病を患っているとされている「笑福亭仁鶴(しょうふくていにかく)」さんについても取り上げまています。
詳しくはこちらをご覧ください。⇒『笑福亭仁鶴』さん。
石牟礼氏は、この病気を患い、晩年は闘病生活を続けながら執筆活動を行っていました。
しかしこの病気は完治することなく、パーキンソン病による急性増悪のため、2018年2月10日に死去してしまいました。
この事について、2018年2月10日に配信された『朝日新聞DIGITAL』は次のように報じています。
“水俣病患者の苦しみや祈りを共感をこめて描いた小説「苦海浄土」で知られる作家の石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんが10日午前3時14分、
パーキンソン病による急性増悪のため熊本市の介護施設で死去した。90歳だった。
葬儀は近親者のみで執り行う。”
同誌は掲載している通り、石牟礼氏はパーキンソン病の急性憎悪のため、死去している事が報じられています。
また急性憎悪とは、急に症状が悪化することを指し、石牟礼氏は2018年2月10日に熊本市内の介護施設で死去してしまいました。
石牟礼道子と結婚した夫や子供の名前!
今回の訃報で世間の注目を集めている石牟礼氏ですが、ネット上では私生活についても関心が集まっています。
しかし、上記で引用した「朝日新聞DIGITAL」には家族についての言及はされていません。
石牟礼氏は、私生活を公表しているのでしょうか?
そこで石牟礼氏の私生活について調査したところ、石牟礼氏の夫の名前は「弘(ひろし)」さんといい、2015年8月20日に老衰のため、死去している事が判明しました。
この事について、2015年8月21日に配信された『水俣病センター 相思社』は次のように報じています。
“石牟礼弘さん(いしむれ・ひろし=元中学校教諭、
作家石牟礼道子さんの夫)が
8月20日午後4時頃、
老衰のため亡くなられました。89歳でした。
(中略)
喪主は長男の道生(みちお)さんです。
自宅は水俣市白浜町8-36。
石牟礼弘さんは1925(大正14)年生まれ。
1046(昭和21)年、
吉田道子(現 石牟礼道子)さんと結婚。”
同誌が掲載している通り、石牟礼氏の夫である「弘」さんは、2015年8月20日に老衰のため、死去しています。
また同誌では、喪主を務めたのは、長男「道生(みちお)」さんと掲載されている事から、子供がいる事が判明しました。
しかし同誌では、夫の弘さんや息子の道生さんの顔などの素性については言及されていません。
そこで夫と息子さんについて調査しましたが、一般の方という事もあり、詳細な情報は不明です。
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