【嫁+家族】汪楠(ワンナン)の生い立ち↓怒羅権(ドラゴン)と関東連合の関係

こんにちは。坊主です。

今回は、汪楠(ワン・ナン)氏を取り上げます。

現在でこそ穏やかな表情を浮かべている彼ですが、実は、半グレ集団「怒羅権」(ドラゴン)の創設メンバーです。

そんな彼の話題が「ザ・ノンフィクション」で取り上げられ、世間の注目を集めています。

番組によると、現在のワン・ナン氏は全国の受刑者に本を贈る支援活動を行っているようです。

一体、ワン・ナン氏とはどんな人物なのでしょうか?

汪楠(ワン・ナン)が結婚した嫁とは?

「ザ・ノンフィクション」ではワン・ナン氏の結婚式が放送されます。

日本国籍を持たないワン氏は日本で就労することができないため、収入はほぼゼロだと言います。

しかし、奥さんは自身が貯めた50万円を夫に寄付してくれたのです。

現在のところ、奥さんの素性は公表されておらず不明ですが、番組内で明かされると思われます。

追記

奥さんの名前は「リュウ・チンチュウ」さん(46歳)

彼女は自身のクラブやバーを経営する実業家でした。

馴れ初めは電車での一目ぼれ

番組では2人の出会いも明かされました。

なんと、2人の出会いは電車の中で、それもワン氏の一目ぼれだったようです。

妻のリュウさんが彼に惹かれた理由は、真っ当に生きようとする姿勢でした。

ワン氏は贖罪として受刑者に本を贈る活動をしており、それに彼女が心を打たれたのです。

生い立ちや両親について

ワン氏の生い立ちがこちらです。

日中国交正常化の1972年、
吉林省長春市に生まれた。

母はバスガイド
父は地元の病院の副院長も勤めた外科医

教育熱心な家庭で、
父は毎朝家の壁に掛けた黒板に「お題」を書き、
その日のうちに詩を作るよう息子に指導した。

小学校でも成績は常にトップだったが、
親の離婚で状況が一変した。

父はのちに残留孤児の日本人女性と再婚
その父に誘い出されて86年、
と共に神戸行きの船に乗った。

※「日本中国友好協会」より引用
(2019年8月1日号掲載)

上記の通り、彼の両親は既に離婚していたのです。

1986年に姉と共に来日したワン氏、父と再婚相手の女性を含む家族7人で暮らしていたと言います。

しかし、当時の彼は日本語を話すことができず、周囲の人間と馴染めずにいました。

ある時は「中国に帰れ」と罵声を浴びたり、いじめを受けたこともあったそうです。

その過程で彼は自身と同じ境遇の残留孤児たちで徒党を組み、これが後に「怒羅権」へと姿を変えて行ったのです。

日本語学級で学ぶ残留孤児二世らでグループを結成、
同じ境遇の二世らがいじめられると仕返しに行き、一躍ヒーローとなる。

このグループはのちに「怒羅権」と名を変え、
準指定暴力団にまで成長した。

※「日本中国友好協会」より引用

つまり、怒羅権とは、日本人に対する怒りや不信感によって生まれた半グレ集団なのです。

怒羅権(ドラゴン)の意味とは?

日本人への恨みや不信感がきっかけとなって誕生した怒羅権ですが、これには次のような意味が込められていました。

「ドラゴン、龍は一般に中国のことを指す。

しかし彼らの『怒羅権』には別の意味もある。

『怒』は、日本人からのいじめに対する『怒り』から、
『羅』は、強敵を倒す『羅漢』から、
『権』は、自分たちの『権利』を守るという意味から取られている」

※「デイリー新潮」より引用
(2017年7月26日号掲載)

上記の通り、怒羅権には「日本人を倒し、自分の権利を守る」という意味が込められていたのです。

怒羅権と関東連合の関係

日本で最も有名な半グレ集団といえば、「関東連合」の存在が挙げられます。

既に解散している関東連合ですが、現在でもOBは各方面に幅を利かせており、裏社会で暗躍しているとされています。

実は、この関東連合と怒羅権は友好関係にあると言います。

怒羅権(ドラゴン)と関東連合に接点はあるのですか?

関東連合元リーダー石元太一氏のブログで見たんですが
自身の引退集会のときに来てくれたというチームの中に
怒羅権という名前があったと思います。

※「Yahoo!知恵袋」より引用
(2012年4月22日投稿)