【池袋通り魔】造田博の現在は廃人?生い立ちや両親+兄は?

時事

こんにちは。坊主です。

今回は、1999年9月8日に発生した「池袋通り魔事件」を取り上げます。

本事件で逮捕・起訴された犯人は「造田(ぞうた)博」といい、2007年に死刑が確定しています。

しかし、2022年5月現在に至るまで造田の死刑は執行されていないのです。

そんな造田の半生が、2022年5月24日放送の「ザ!世界仰天ニュース」で紹介されます。

一体、通り魔事件で逮捕された造田 博とはどんな人物なのでしょうか?

池袋通り魔事件の犯人:造田 博の生い立ちとは?

造田は両親と兄(4歳年上)の4人家族の家庭に生まれました。

造田が生まれたのは岡山県 倉敷市でしたが、3歳の時(1978年)に児島郡 灘崎町に移住しています。

父親は腕の良い大工として評判で、サラリーマンの平均年収以上を稼いでいました。

また、母親も縫製の内職をして家計を支えるなど、造田の家庭は”中流”以上だったのです。

しかし、こうした家庭環境は造田が小学校高学年の時に一変することになりました。

実は、祖父から相続した土地を父親が売却したことで多額の収入を得たのです。

一攫千金を得た父親は次第に働くなり、競馬や競艇などのギャンブルに入り浸るようになります。

また、造田が中学生になる頃には母親もギャンブルに手を出すようになり、家庭は一気に崩壊へと傾いていったのです。

ただ、そんな家庭環境とは裏腹に、造田は勉学に励み、1991年には「倉敷天城高校」に合格します。

ところが、1992年になると、両親の借金が原因で、借金取りが自宅に押し寄せるようになりました。

こうした状況もあって、造田は高校2年生の時に学校を中退し、弁当屋でアルバイトを始め、自力で生計を立てなくてはなりませんでした。

そんな中、追い打ちをかけるように1993年11月に両親が失踪(蒸発)してしまいます。

両親が失踪したことで、造田は、兄が暮らしている広島県 福山市を訪ねて、兄と同居しながら職を転々とする生活を送っていました。

上述した通り、造田の生い立ちは決して恵まれたものは言えなかったのです。

しかし、だからと言って、造田が起こした通り魔という犯行が肯定される理由はどこにもありません。

世間の反応

この手の凶悪事件では得てして犯人の生い立ちがどうとかいう話になるけど、
そんなことはどうでもいい。

自分が犯した罪は相応の罰を以て償え。

確かに生い立ちは不幸だけど、
世の中にはコイツ以上に不幸な人間はいくらでもいるし、
その中でほとんどの人は真っ当に生きてる。

こいつがサイコパスで異常なだけ。

生い立ち云々は関係ない。

両親や兄もこんな怪物が生まれてきて迷惑だろうに。

両親や兄の現在は?

1999年9月8日、造田は自身の携帯電話に掛かってきた無言電話がきっかけで自暴自棄になり、通り魔事件を起こしました。

この事件はマスコミによって大々的に取り上げられたため、両親および兄が造田の凶行を知らないはずはありません。

ところが、両親および兄は自ら名乗り出ることはなく、被害者や遺族に対して謝罪の言葉すら発することはなかったのです。

また、2007年に造田の死刑が確定した際も、家族からのコメントはなく、現在の様子は一切不明というのが現状です。

参照先

https://www.jprime.jp/articles/-/6230

統合失調症が原因で現在は廃人?

冒頭でも触れた通り、造田の死刑は2007年に確定しているものの、2022年5月現在まで執行されていません。

死刑の確定から執行まで猶予があることは、過去の事例から決して珍しいものではありません。

しかし、造田の死刑が執行された件に関しては、ある理由が囁かれていているのです。

それが、「統合失調症の影響で現在は廃人になっている」というものでした。

廃人と噂されている現在の状態については、「Yahoo!知恵袋」より以下の情報が確認されています。

一切、一言も発さない。

トイレも流さない。

動くのは食事とトイレの時のみ。

着替えもしないので、シャツは黄ばんでいるそうです。

※「https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10241391830」より引用

実は、造田の弁護人は、事件当時から「被告人(造田)は妄想に取りつかれていた」と主張していたのです。

事実、事件前から造田は意味不明な手紙を複数の公的機関に送付しており、統合失調症だった疑いがあります。

しかし、裁判では弁護人の主張が退けられ、造田の責任能力が認められ、死刑判決が下されています。

もし、造田の死刑が執行されない理由が「廃人化」だとすれば、被害者および遺族にとってはやりきれない結末と言えるでしょう。