こんにちは。坊主です。
今回は、「コーネリアス」の小山田 圭吾さんを取り上げます。
2021年7月14日、東京オリンピックの開会式にて小山田さんが楽曲を担当することが発表されました。
しかし、過去の雑誌に掲載された”いじめ自慢”が蒸し返され、最終的には辞任を追い込まれました。
小山田さんによる”いじめ自慢”のインタビュー記事が掲載された雑誌は、「ロッキンオン・ジャパン」(1994年)と「クイック・ジャパン」(1995年)の2誌。
そんな中、ここに来て別の雑誌でも”いじめ自慢”のインタビュー記事が掲載されていたことが発覚したのです。
その雑誌が「月間カドカワ」でした。
一体、月間カドカワではどんな”いじめ自慢”が掲載されていたのでしょうか?
目次
小山田 圭吾は月刊カドカワでも”いじめ自慢”をしていた
月刊カドカワに掲載されていた小山田さんの”いじめ自慢”について、「FLASH」は次のように報じています。
小山田氏は、『月刊カドカワ』1991年9月号でも、同様のエピソードを話していた。
小山田氏は、
「フリッパーズ・ギター(編注:小山田氏が所属していたバンド) お洒落な不遜」と題したインタビューで、
幼稚園での思い出として「○○ちゃん(伏字は編集部)ていうちょっと知恵遅れの子がいて、
クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな」と語っていた。
小学生では、
同級生へ執拗に嫌がらせをしていたと明かしている。「小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、
みんな普通のことを書いてるのに、『小山田君の嫌なこと』
とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。
別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、
よけいにムッときて。親にその文集は見せられなかった。
ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。
でも、事実なんです(笑)。
まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。
ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。
みんなに配られちゃうの。
けっこう挫折だった。
だからそいつには、
小学校人生全部をかけて復讐した(笑)」
そのほか、高校でのエピソードとして、
「K(編注・小山田氏はインタビュー中で「知恵遅れ」と表現)は鼻炎だから、
いつも鼻をかんでるんだけど、
ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュを買ってきて紐つけてあげた。
それでKはいつも首から箱をぶら下げてた」
などと話していた。
(2021年7月19日配信)
上記の通り、問題の”いじめ自慢”のインタビュー記事は1991年9月号に掲載されていたのです。
同号の表紙がこちらです。
ふと、そうだったような気がして 月刊カドカワのバックナンバーを引っぱり出してみたら 短歌投稿欄の選者が岡井先生だった やっぱりそうだった 当時のわたしは詩を書くことを中断していた頃 単純に記事目的で購入した 1991年9月号 特集の一つに「田中章義の素顔」とある pic.twitter.com/DknJNuriU5
— ゆきこ (@atelier_yi) July 19, 2020
同号のインタビュー記事によると、小山田さんは小学校時代のクラスメイトを日常的に”迫害”していました。
しかし、その迫害行為が文集の中で告発されてしまったのです。
この告発によってプライドを傷つけられた小山田さんは、残りの”小学校人生”を全て賭けて、その同級生に復讐したようです。
現在のところ、小山田さんが”いじめ自慢”をした雑誌は「月刊カドカワ」「ロッキンオン・ジャパン」「クイック・ジャパン」の合計3誌となりました。
全てのインタビューにおいて、彼は自身の”いじめ”を嬉々として語っていることから、その異常性が垣間見えます。
また、それらの内容に何の疑問もなく掲載したインタビュアー(ライター)や出版社も異常と言わざる得ません。
小山田さんは”いじめ自慢”のインタビュー記事が蒸し返されたことで、謝罪文を掲載し、最終的にはオリンピックの仕事を辞退しています。
しかし、この問題が世界規模で炎上していなければ、彼はオリンピックの仕事を辞退せずに続投していたでしょう。
事実、小山田さんは謝罪文の中で続投の意思を見せていました。
そのため、彼が掲載した謝罪文も「オリンピックの仕事を継続するためのパフォーマンス」という見方が強まっています。
世間の反応
>小学校人生全部をかけて復讐した(笑)
そもそもご自身がイジメをして文集で仕返しされたから更に逆恨み
それを大人にもなって武勇伝ぽく答えている小山田氏は相当人間的に問題と思う
普通なら隠して過ごす
さらに言えば
世界的なイベントで彼の様な人材を起用した側にも同罪と思う
さらに、同じ被害者かどうかは分からないけど、
母親と一緒に一生懸命描いた年賀状をわざわざ雑誌に提供してまで馬鹿にして、
この被害者だけでなく、
その母親の気持ちを思うと悲しさと怒りが同時にこみあげてくる。こんなモラルのかけらも無い人間が反省するのか?
早くオリパラから追放してくれ。
組織委員会、国民をなめすぎ!
次から次へと燃料が投下されるが、
一体どのツラ下げて音楽を担当するの?「障がい者をイジメまくった僕にしか出来ない音楽を」
みたいな寝言でもほざくつもりか?
組織委は、パラ出場選手達が、
コイツの曲が流れたら立たずに膝をついて抗議の姿勢を示したらどうするの?無理矢理立たす?
退場させる?
テレビカメラに絶対映さないようにして、
そんなトラブルが無いように隠す?どれも各国のメディアにすぐ暴き立てられて更に国の信用を失わせるよ!
”いじめ自慢”インタビューの全文内容は?
小山田さんによる”いじめ自慢”のインタビュー記事は「お洒落な不遜」というタイトルで掲載されていました。
一体、彼はこのインタビューで何と発言していたのでしょうか?
そこで、インタビュアー記事の全文を調べてみましたが、全ての内容を網羅しているサイトは確認できなかったのです。
しかし、インタビュアーの断片情報は確認されたため、以下に引用して掲載します。
935 :可愛い奥様[sage]:
2021/07/17(土) 06:27:53.52
ID:Hot1cegn01991年の月刊カドカワで小山田さんが語った、幼稚園生時代と小学生時代のエピソード
小学校のときって、足が速い人とか人気があるじゃない。
そういうタイプじゃなかったから、
物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり、こすいヤツだったな(笑)。
だからすごく嫌われたりすることもあったな(笑)。
いちばんショックだったのが、
小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、
みんな普通のこと書いてるのに、
「小山田君の嫌なこと」とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。
ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。
でも、事実なんです(笑)。
だからそいつには、
小学校人生全部かけて復習した(笑)。月刊カドカワ 1991/9/1
※「https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1626499558/345」より引用
上記の通り、クラスで人気があった同級生の悪口を言ったり、事実無根の噂を流布させていたのです。
これらのエピソードは彼が小学生時代のものであるため、当時から陰湿な”いじめ”を行っていたことになります。
”いじめ自慢”インタビューの全文(内容)について情報をお持ちの方はコメント欄よりお知らせ下さい。
「お洒落な不遜」でインタビューしたライターは誰?
小山田さんの”いじめ自慢”が大炎上したことを受けて、当時のインタビュアーや出版元も謝罪に追い込まれています。
一体、月間カドカワに”いじめ自慢”の記事を掲載したインタビュアー(ライター)は誰なのでしょうか?
そこで、このインタビュアー(ライター)について調べてみましたが、ネット上では名前が確認できる情報はなかったのです。
以下のインタビュー記事は「お洒落な不遜」が掲載された月刊カドカワの1991年9月号ですが、”いじめ自慢”の記事を執筆したインタビュアーの名前は確認できませんでした。
月刊カドカワ1991年9月号。小山田圭吾スピリチュアルメッセージ。pee wee 60s→ビロード→ロリポップソニック→米国音楽の頃の話。 pic.twitter.com/1J9bhkELrI
— tadashi aoki (@narco) November 15, 2019
「お洒落な不遜」を書いたライターについて情報をお持ちの方はコメント欄よりお知らせ下さい。
【7月20日追記】末期癌の患者も笑いものにしていた
複数の雑誌で”いじめ自慢”を武勇伝のように語っていた小山田さんですが、ここに来て更なる余罪が判明しました。
それが「末期癌患者の嘲笑インタビュー」です。
この記事が掲載されたのは、「月刊ギグス」(1996年2月号)でした。
同号に掲載されたインタビュー内容がこちらです。
小山田圭吾、1996年の月刊ギグスのインタビューで、末期患者の心電図が自分のギター音に呼応して(?)ピーと鳴ったのを「また死んだ」と笑いとばしてたらしいんだけど、ここまでくると何か先天的なサイコパスの可能性があるんじゃないかと思ってしまう。ただソース不確定なので、原文を読んでみたい。 pic.twitter.com/Yy93SunXw8
— adff (@aqwr6uw) July 18, 2021
上記の通り、小山田さんは病院でギターを弾き鳴らした上、末期癌で苦しむ患者の”死にざま”を嘲笑っていたのです。
彼は懸命に生きた癌患者に対して「また死んだ(笑)」と嘲笑い、挙句の果てには、人の死を「心暖まる話だよね」と語っていたのです。
これらのエピソードを嬉々として語る小山田さんには、他者への共感力や造像力が欠如しているとしか思えません。
【7月20日追記】「いじめの限度を見極めるのが上手い」と発言
”いじめ自慢”のインタビュー記事が次々と発掘されている小山田さんですが、その中で「いじめの限度を見極めるのが上手い」と発言していたことが分かりました。
問題の発言がこちらです。(写真2枚目)
フリッパーズギターってインタビューで有る事無い事言って煙に巻くってスタイルだと思ってたけど、小山田は普通に嫌な奴だったんだな。姑息な事をカッコいいと思ってる節あるw pic.twitter.com/3qRS7JiuZ6
— よのぢMETAL 2月20日武道館参戦 (@yonoji1971) July 19, 2021
この発言は「ロッキンオン・ジャパン」(1993年9月号)に掲載されていました。
インタビュー内容から察するに、彼は自分が”いじめ”に関与していても、最終的にはスケープゴートを用意することで自身への批判を回避していたようです。
また、「いじめの限度を見極めるのが上手い」という発言から、過去の”いじめ自慢”も彼の中では限度内ということになります。
ちなみに、3枚目の写真の記事では「万引きを告発された」と記されています。
前後の文脈がないことから断定はできませんが、これが事実であれば犯罪にも手を染めていたことになります。
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