【三毛別羆事件】本物写真や遺体画像は?生き残り大川春義の死因

時事

こんにちは。坊主です。

今回は、1915年に北海道で発生した「三毛別羆(さんけべつ ひぐま)事件」を取り上げます。

2022年9月7日放送の「世界の何だコレ!?ミステリー」にて、三毛別羆事件が取り上げられます。

一体、三毛別羆事件とはどんな事件だったのでしょうか?

三毛別羆事件のヒグマ写真は本物?遺体の画像は?

三毛別羆事件は日本史上における最大・最悪の熊害(ゆうがい)事件です。

本事件では7人が死亡し、3人が重症を負う怪我を負っています。

住民を執拗に襲撃した羆は体長2.7m、体重340kgにも及ぶ巨大羆でした。

事件現場となった集落では、この巨大羆の像が原寸大で再現されています。

この写真から、問題の羆が規格外の巨体だったことが分かります。

ただ、村民を襲撃した羆の写真は記録されておらず、映像媒体には残されていないのが現状です。

しかし、ネット上では以下の写真が”本物”として流布されています。

この写真の出処は不明ですが、一説によると、アメリカで撮影されたグリズリーとされています。

確かに、写真に写る人物に着目すると、その服装から日本人ではない可能性が疑われます。

三毛別羆事件が発生したのは極寒の北海道であるため、このような軽装では生活できないはずです。

また、問題の写真には積雪などが確認できません。

こうした状況から、当該写真の熊は三毛別羆事件の羆ではないことが強く疑われるというわけです。

本事件は様々なメディアで特集されていますが、その中でも当該写真が取り上げられたことはありません。

特集番組でも”本物”の写真が紹介されていない事実を踏まえると、当時の様子は写真で記録されていなかったと考えるのが妥当です。

なお、遺体の状況も文章による記録しか残されておらず、写真(画像)の存在は確認されていません。

三毛別羆事件は英語圏で「The Sankebetsu brown bear incident」と訳されていますが、同表現で検索しても、”本物”の写真は1枚もヒットしないのです。

世間の反応

三毛別羆事件のWikipedia見たんだけど、下手なホラーより怖すぎ。

三毛別羆事件のWiki短くなった?

前はもっと文章量あった気が…

これグロすぎ…

生き残り:大川春義の写真や死因は?

三毛別羆事件の目撃者にして、数少ない”生き残り”であるのが「大川春義(はるよし)」という人物です。

事件当時、大川さんは5歳~6歳の少年でしたが、犠牲者の仇を討つために自身もマタギ(猟師)になっていました。

犠牲者1人につき羆10頭(合計70頭)を仕留めることで復讐を果たすことを決意した大川さんは、三毛別羆事件の羆を仕留めた山本兵吉に弟子入りし、マタギとしての修行を開始します。

https://twitter.com/Kylie_Mituru/status/1466433518096035848

しかし、最初の10年間は羆への恐怖感を拭い去ることが出来ず、1頭も仕留めることが出来ませんでした。

ただ、32歳の時に初めて羆1頭を仕留めたことで、彼はマタギとして成果を挙げていくことになります。

そして遂に、1946年に羆70頭の討伐に成功し、犠牲者の復讐を遂げたのです。

最終的に彼は100頭の羆を仕留め、これを機にマタギを引退。

大川さんがマタギを引退した後も、三毛別羆事件で亡くなった人間の弔いは毎年12月9日に開催されていました。

1985年12月9日、同事件の70回忌の法要が開催され、大川さんは小学校に招かれて講演を行っていました。

しかし、彼が壇上に上がり、「えー、みなさん……」と話し始めた途端に倒れ込み、そのまま死亡してしまったのです。

生前の大川さんは飲酒もせず、健康体そのものでした。

事実、死去した日の朝も三平汁を3杯平らげており、急死する予兆は一切ありませんでした。

そのため、死因についても解明されていないのです。

ただ、彼が死去したのが三毛別羆事件が起きた12月9日であったため、村民の間では事件との因縁が指摘されていたようです。

なお、大川さんの写真(画像)は記録に残されておらず、その素顔は分かっていません。