こんにちは。坊主です。
今回は、お笑い芸人の安田裕己さんを取り上げます。
「安田大サーカス」の団長として活躍している彼ですが、1995年に起きた阪神淡路大震災で被災しています。
この震災で親友の山口恵介さんを亡くしており、それがきっかけで安田さんは芸人の道を志すようになったのです。
一体、親友の山口恵介さんとはどんな人物なのでしょうか?
安田大サーカス団長が親友の山口恵介さんを震災で亡くす
阪神淡路大震災で亡くなった山口さんについて、「読売新聞」は次のように報じています。
駅前の崩壊したビルの前で、
ただ、ぼう然と立ち尽くした。親友の山口恵介さん(当時20歳)が、生き埋めになっていた。
当日の読売新聞夕刊の写真にその様子が写っている。
「おーい、恵介。寝るなよ」。
いてつく寒さの中、同級生と声をかけ続けた。
2日前に一緒に成人式を迎えた親友。
5日後、
遺体となって体育館で対面した。
お笑い芸人になる夢を捨てきれず、
でも、踏ん切りがつかないまま、
いたずらに日々を過ごしていた。翌年、タレント養成所に入ったのは、
幼稚園からの「腐れ縁」という恵介さんの言葉が背中を押したからだ。
冗談を言うと、よく笑い、
「おまえ、芸人になれや」
と突っ込んでくれた。
「たとえ売れなくて苦労しようが、やりたいことやったる」。
亡き友にそう誓った。
(2021年1月17日配信)
上記の通り、山口さんは生前から安田団長に芸人への道を勧めていたのです。
もし山口さんがいなければ、安田団長が芸人になることはなく、「安田大サーカス」は誕生しなかったことでしょう。
世間の反応
団長!
そんな心を微塵もみせず、常に一生懸命で、
私達に笑いを届けてくれていたなんて。だからこそ、
団長の笑顔には曇りがなく優しさがあふれていたのですね!これからも無理をせず、
団長が思う道を歩んでください!
そんな話は初めて聞いたけど、
団長の人柄と頑張りにはこんな出来事があったのか。頑張らなきゃ、前を向かなきゃ
>「他人を助けられるのは、自分に余裕があるときだけ。『頑張りすぎたらあかん』」
厳しい真理だ
山口恵介さんの顔画像は?
安田団長は過去にも山口さんとのエピソードをテレビなどで披露しています。
一体、彼の親友はどんな人物なのでしょうか?
そこで、山口さんの顔写真を調べてみたものの、生前の画像などは公開されていないことが分かったのです。
ただ、山口さんを知る人物のブログより、彼の人柄が分かりました。
どんな人物だった?
山口さんの人柄について、彼を知る人物は次のように述懐しています。
小学校2年生の時にはじめてバレンタインのチョコレートをあげた。
とても明るくて、面白くて、ひょうきんで、
そしてとてもやさしい男の子だった。いつもジョークを言って、周りを笑わせ、
山口君がいるとその場が和んだ。
弱い人にも優しかった。
面白くても
決して意地悪なジョークなどで人を笑わせるような人ではなかった。しゃべり方も声も今でも覚えている。
穏やかにしゃべったり、
大きな声でしゃべったり、話も聞いてくれた。男友達にアドバイスなどもするような人だった。
※「https://ameblo.jp/kei–maro/entry-10770783781.html」より引用
このブログによると、山口さんは男女分け隔てなく平等に接する人物だったことが窺えます。
山口さんは既に亡くなっていますが、その人柄を慕う人間は現在でも後を絶ちません。
その証拠に、阪神淡路大震災が起きた1月には、毎年のように彼を慕う人間が実家に訪れているのです。
兵庫県三田市の恵介の実家には毎年一月、友人が大勢来る。
最近その中に安田はいないが、
逸子(※山口さんの母親)は「それがうれしいんです。
安田君も頑張ってるんだなあと思うから」という。
逸子が、会えない代わりに、
手に汗握ってテレビの中の自分を見てくれていることは、安田も知っている。
※「http://www.asahi-net.or.jp/~XB6M-IWST/20050110.html」より引用
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