こんにちは坊主です!!
今回は、『グレン・キャンベル』氏を取り上げます。

皆さんは彼の事をご存知でしょうか?
彼はアメリカのカントリーミュージック歌手として活躍していました。
1960年代から80年代に多くのヒット曲を生み出し、「ジェントル・オン・マインド」や「恋はフェニックス」などの楽曲で知られています。
その功績を認められ、シングル人気チャート「ビルボード・ホット100」で1位を獲得し、グラミー賞を受賞するなど数々の実績を残しています。
また俳優や司会者としても知られ、1969年に公開された映画「勇気ある追跡」では名俳優「ジョンウェイン」氏とも共演を果たし、司会者としてアメリカのバラエティ番組「The Glen Campbell Goodtime Hour」で人気を博していました。
アメリカで絶大なる人気を誇っていた彼ですが、2017年8月9日に死去した事が報じられました。
今回は、そんな彼にについて調べてみました。
グレン・キャンベルが死去!死因は病気?
冒頭でも掲載しましたが、彼は2017年8月9日に『CNN.co.jp』によって死去した事が報じられました。
この事について同紙は次のように報じています。
”(CNN)1960年代から80年代にかけ、
カントリー調のヒット曲を数多く発表した米国の歌手、
グレン・キャンベルさんが8日、
81歳で死去した。家族がソーシャルメディア上で明らかにした。”
同紙が掲載している通り、彼が死去した事を報じています。
しかし同紙は彼の死因を明らかにしていません。
この彼の訃報を受けて、死因について多くの関心が集まっています。
彼の死因はいったいなんだったのでしょうか?
この事について調べてみましたが、ネット上では彼の死因を一切公表していません。
しかし彼は以前、”アルツハイマー病”で治療施設に入所していた事が判明しました。
2011年に彼はアルツハイマー病を告白し、その後もアルバム発表やライブツアーを行うなど音楽活動を続けていましたが、2014年に当時78歳で施設に入所していた事が報じられています。
この事について、彼のWikipediaには次のように掲載されています。
”2011年6月、
半年前にアルツハイマーと
診断されたことを発表した。(中略)
2014年4月、
78歳で長期間のアルツハイマー治療施設に
入所したことが報じられた。”
同サイトが掲載している通り、彼はアルツハイマー病を患い施設に入所していた事を掲載しています。
今回の彼の死因は明らかにされていませんが、アルツハイマー病を患い闘病中であった事は事実です。
彼の死因が判明次第、記事を随時更新します。
また今回の訃報を受けて、彼の家族について感心が集まっています。
今回は彼の家族について調べてみました。
グレン・キャンベルの家族(嫁、子供)は?
上記で引用した『CNN.co.jp』の記事内には、家族がSNSで彼の訃報を明らかにしています。
その事から彼は結婚している事がわかります。
今回は彼の妻(嫁)や子供の名前について調べてみました。
彼の私生活を調査していくと、彼には4回の結婚歴があり、8人の子供が居る事が判明しました。
まず初めの結婚は、1955年に「ダイアン・カーク」さんと結婚し、第1子長女の「デビー」さんが誕生しています。
1959年に約4年の結婚生活に終止符を打ち離婚。
その後、美容師として働いていた女性「ビリー・ジーン・ナンリー」さんと結婚し、「ケリー」「トラヴィス」「ケイン」さんの3人の子供が誕生しますが、1975年に離婚。
1976年に彼と同様にカントリーミュージック歌手として人気を博していた「マック・デイビス」さんの妻「サラ・バーグ」さんと不倫の末、再々婚し「ディロン」さんが誕生していますが離婚したいます。
そして現在の妻である「キンバリー・ウーレン」さんと1982年に再々々婚し、「カール」「シャノン」「アシュリー」さんが誕生しています。
また現在の妻の子供である3人は、2010年頃から彼のツアーバンドとして参加しており、ミュージシャンとして活躍しています。
この事について、彼のWikipediaは次のように掲載しています。
”キャンベルはこれまで4回結婚し、
1956年から1986年に生まれた
5名の息子と3名の娘の父親である。第一子長女デビーは
ダイアン・カーク(婚姻期間1955年-1959年)との間に生まれた。美容師ビリー・ジーン・ナンリーと再婚し、
ケリー、
トラヴィス、
ケインをもうけ、
1975年に離婚した。その直後に不倫の末、
1976年にマック・デイヴィスの2番目の妻サラ・バーグと再々婚した。
ディロンをもうけたが、
生後3週間の1980年に離婚した。1982年、
キンバリー・ウーレン(愛称キム)と
再々々婚した。カール、
シャノン、
アシュリーをもうけ、
子供たちは2010年から
キャンベルのツアー・バンドに参加している。”
※一部改変
彼は私生活は決して順風満帆とは言えませんが、それでも家族や世界中の人々から愛されていた事は事実です。
グレン・キャンベルのWiki経歴、画像あり
今回の彼の訃報を受けて、死因や家族に次いで多く検索されているのは、経歴についてです。
今回は彼のWikipeiaの一部をご紹介させていただきます。
”アメリカ合衆国のカントリー・ミュージック歌手、
ギター奏者、
テレビ司会者、
俳優。1960年代および1970年代に多くのヒット曲を生み出し、
CBSのバラエティ番組
『The Glen Campbell Goodtime Hour』の司会で知られる。ショー・ビジネスでの約50年間で、
キャンベルは70枚以上のアルバムを発表した。レコード4,500万枚を売り上げ、
12枚のゴールド・アルバム、
4枚のプラチナ・アルバム、
1枚のダブル・プラチナ・アルバムが認定された。『ビルボード』誌のカントリー・チャート、
ホット100、
コンテンポラリー・チャートに80曲がランクインし、
うち29曲がトップ10に入り、
うち9曲が第1位になった。”
同サイトに掲載されている通り、彼は音楽活動で様々な功績を収め、輝かしい人生を送っていたことがわかります。
また今回の訃報を受けて、彼の友人である「ブライアン・ウィルソン」さんはツイッター上で彼の哀悼の言葉を寄せています。

またブライアン・ウィルソンさんは、1961年に結成されたロックバンド「ザ・ビーチ・ボーイズ」の元リーダーでボーカル兼ベース担当として知られています。
ブライアン・ウィルソンさんはツイッター上で以下のようなコメントを発表しています。
”僕の友人、
グレン・キャンベルについて聞き、
愕然としている。素晴らしいミュージシャン、
そして、
それ以上に素晴らしい人物だった。僕は途方に暮れている。
Love & Mercy”
2017年8月9日公式ツイッター『ブライアンウィルソン』より引用
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