こんにちは。坊主です。
今回は、かつて存在した極左テロ組織「日本赤軍」のリーダーだった重信房子さんを取り上げます。
1977年9月28日、日本赤軍による「ダッカ日航機ハイジャック事件」が発生しました。
この事件が、2022年9月20日放送の「ザ!世界仰天ニュース」で特集されます。
一体、日本赤軍のリーダーだった重信房子さんとはどんな人物なのでしょうか?
重信房子の夫は誰?結婚歴は?
重信さんが2度の結婚歴があります。
最初の夫は「奥平剛士」といい、日本赤軍の最高幹部でした。
奥平剛士
日本赤軍の最高幹部。奥平純三の兄。
1945年生まれ。京大では全共闘とパルチザン所属。
71年に重信房子と偽装結婚し、レバノンへ渡航。現地で日本赤軍を結成し、PFLPの下で軍事訓練を積む。
翌年のテルアビブ事件で自爆した。 pic.twitter.com/TzR1jnVgFR— 日本赤軍bot (@JapanRedArmyBot) April 3, 2021
2人が結婚したのは1971年の時。
しかし、これは世間の目を欺くための偽装結婚でした。
事実、重信さんは当時潜伏していたベイルートに住民に対して、「あの人は本当は主人ではないのです」と明かしていたのです。
こうして偽装結婚した2人ですが、その翌1972年に奥平がテルアビブ空港で仲間2人と乱射事件を起こし、死亡。
その後、重信さんはパレスチナ人と結婚しており、子供(娘)を出産しています。
この時に生まれたのが、現在、ジャーナリストとして活躍している重信メイさんです。
娘のメイさんについては以下の記事をご覧ください。
世間の反応
重信房子って明治大学なんか!
まさかのOGやんけ。
日本赤軍と連合赤軍って何が違うんだ?
頭良すぎて自分で世直し実行しちゃったのか…
家族:父親や兄弟は?
重信さんの家族構成を調べたところ、両親に加えて、3人の”きょうだい”(兄・姉・弟)がいることが分かりました。
つまり、本人を含めて6人家族となります。
https://bunshun.jp/denshiban/articles/b3181
父親の名前は「末夫」さんといい、妻と共に世田谷区で食料品店を経営していました。
父親は「血盟団事件」に関与したグループの”門下生”でした。
一部では、父親が”血盟団メンバー”と紹介されていますが
これは誤りで、父親は血盟団事件には参加していません。
重信さんは父親に懐いており、自他ともに認めるファザコンだったようです。
ただ、家族の中で素性が判明しているのは父親だけであり、母親やきょうだいについては情報が公にされていません。
重信さんのドキュメンタリー映画が公開された際、彼女の姉がコメントを寄せていますが、下記の通り実名は伏せられていました。
重信さん以外の家族はテロ活動には一切関与していないことから、詳しい素性(名前・顔写真)が伏せられているのだと思われます。
なお、重信さんには血の繋がっていない”義理の弟”が存在しています。
先述した通り、重信さんは1971年に奥平剛士と偽装結婚していますが、奥平には「純三」という弟がいたのです。
(下記ツイートの上段・右端)
https://twitter.com/Lucyinthetop/status/1530356495833255936
義弟である純三も日本赤軍の元メンバーであり、現在も逃亡しています。
婚約者の議員は誰?名前の特定は?
重信さんに2度の結婚歴があったことは前述した通りですが、実は、彼女には婚約者がいたのです。
その婚約者は大学の同級生で、1965年~1966年頃に弁論大会に参加したことで2人は出会いました。
重信さんは婚約者の父親にも気に入られていましたが、最終的には政治思想の違いで結婚は破談となりました。
実は、この婚約者の父親は「地方の自民党のボス(国会議員)」だったのです。
重信さんが左翼的な思想に傾倒していた一方で、婚約者は父親の影響もあって保守派でした。
そのため、両者の主張が相容れることはなく、会う度に論争するようになっていました。
こうした事態が続いたため、重信さんの方から一方的に婚約を破棄したというわけです。
その後、この婚約者は父親と同様に国会議員となり、両者は袂を分かつことになりました。
ただ、現在に至るまで、婚約者および父親の名前は暴露されておらず、その正体は特定されていません。
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