こんにちは。坊主です。
今回は、外交官の根井三郎氏を取り上げます。
第二次大戦中にソ連ウラジオストクの総領事代理だった外交官、根井三郎が、ナチスの迫害を逃れたユダヤ人に発給した日本通過ビザが見つかりました。根井がビザを発給したとする記録がソ連側に残っていたが、実際にビザが確認されたのは初めてです。https://t.co/V7HrVj9JA1
— 毎日新聞 (@mainichi) May 27, 2020
読み方:ねい さぶろう
ナチス・ドイツに迫害されていたユダヤ人を救ったことで知られる杉原千畝(ちうね)氏ですが、実は根井氏もユダヤ人を救出していたのです。
■杉原千畝
多くのユダヤ人を救った杉原千畝。
リトアニアでは「ちうね」という名が発音しにくかったので、「せんぽ」と名乗っていました。
戦後、杉原に助けられた人々が感謝を伝えたいと日本の外務省に問い合わせるも、「せんぽ」は本名ではないので、そのような外交官はいないと答えるしかありませんでした。 pic.twitter.com/oWR2NcrPQS— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) March 9, 2021
一体、根井三郎とはどんな人物なのでしょうか?
根井三郎とは「もうひとりの杉原千畝」
「もうひとりの杉原千畝」と評される根井氏について「KYODO」は次のように報じています。
第2次世界大戦中に旧ソ連ウラジオストク日本総領事代理だった宮崎県出身の外交官、故・根井三郎(1902~92年)が、
ナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ人に発給したビザが初めて見つかり、
宮崎市が2日、写真を報道陣に公開した。
「命のビザ」で知られる外交官の故・杉原千畝発給のビザに、
根井が署名したものが既に確認されていた。
宮崎市によると、
フリーライターの北出明氏の調査で、
米国に亡命したユダヤ人の子孫が、
根井発給のビザを持っていることが分かった。
ビザには
「昭和16年2月28日 通過査証」
「敦賀横浜経由『アメリカ』行」
と記され、根井の署名がある。
(2020年6月2日配信)
当時の日本はナチス・ドイツと同盟を結んでいたため、日本政府は杉原氏が独断で発行した「命のビザ」を快く思っていませんでした。
そのため、外務省は根井氏に対して「命のビザ」を再検閲するよう命じたのです。
しかし、根井氏はこの要請を無視し、杉原氏と同様に独断で渡航証明書や通過ビザを発行しました。
迫害されていた多くのユダヤ人は、この2人がいなければ虐殺される運命にあったのです。
世間の反応
根井さんが助けた方の子孫は、
今や3世代になり大変な人数になっていると思います。人ひとりの命が、これだけ繋がっていきます。
外交官として、
立派な決断だったと思います。
悲惨な時代に国や思想を超え、
人道的に物事を捉えられる人は素晴らしい。チャイナもアメリカも派遣を争うばかりに気を取られ、
足元の国民を粗末にしないでもらいたい。人種や国ではなく人権として問題を捉えてほしい。
戦争は狂気です
韓国人が言うようなことも、
誇張したり偽造したりはしてますが、
一部は本当だと思います本来なら一部の酷いことだけが全てのように言う左も、
一部の素晴らしいことが全てのように言う右も嫌なんですけど、
高校生の息子から聞いた授業があまりに左に寄ってて教育に疑問を感じます酷いことをやったことばかり教えないで、
こういうのも教えて欲しいなぁと思うんですよね
出身地は宮崎市のどこ?
宮崎市の英雄として語り継がれている根井氏ですが、具体的な出身地はどこなのでしょうか?
そこで、自宅の住所を調べたところ、「宮崎市 佐土原」であることが分かったのです。
ちなみに、当時の佐土原は「宮崎県 宮崎郡 広瀬村 福島」という名称でした。
世界的には「杉原千畝」の存在が有名ですが、根井氏がいたからこそ、より多くのユダヤ人が難を逃れることができたのです。
子孫は誰?
根井氏の子孫は誰なのでしょうか?
そこで、子孫について調べたところ、関東地方に”孫”が住んでいることが判明しました。
翌年(2017年)には、
関東在住の孫が家族とのアルバムや将棋盤などの遺品を受け継いでいることが判明。
※「西日本新聞」より引用
(2019年3月1日配信)
ただ、孫の素性(性別・名前・年齢・顔写真)は一切明らかにされていませんでした。
根井氏の子孫についてはほとんど情報が公開されておらず、その詳細は不明です。
彼の子孫について情報をお持ちの方はコメント欄よりお知らせ下さい。
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