【翠川秋子の画像】心中事件の相手は誰?旦那+子供(子孫)は?

時事

こんにちは。坊主です。

今回は、日本初の女性アナウンサーとして知られる翠川秋子さんを取り上げます。

補足

本名:荻野千代

私生活では夫と死別し、最期には年下の男性と心中するという結末を迎えた翠川さんですが、どんな人物なのでしょうか?

心中事件:翠川秋子が年下の男性と共に亡くなる

心中事件を起こした翠川さんについて「SmartFLASH」は次のように報じています。

“女性アナウンサーの草分け” ともいうべき存在が、翠川秋子だ。

1889年に東京で生まれた翠川は、
女子美術学校卒業後に結婚し、
1男2女をもうけたが、
1922年に夫と死別する。

その後、
開設されたばかりの東京中央放送局(現在のNHK)に入り、
「日本初の女性アナウンサー」となって毎朝のラジオの家庭講座を担当した。

しかし男性社会の当時、
翠川への風当たりは強く、
1年足らずで退職。

以後は雑誌記者などとして働いた。

1935年、45歳となった翠川は、
房総半島沖で29歳の青年と心中してしまった。

(2020年12月13日配信)

上記の通り、翠川さんはNHKに入局したものの、当時は男尊女卑の風土が色濃く残っていたため、わずか1年で退社していたのです。

NHKを退社した彼女は雑誌記者として活躍し、第二のキャリアをスタートさせました。

しかし、記者としては長続きはせず、最終的には「おでん屋」をオープンさせています。

世間の反応

纏めると

夫と死別

生活のためにいろんな仕事をする

アナウンサーもその一つだったが社内の人間関係上手くいかず。

子供を育て上げる

ラガーマンと心中

以上?

不貞を働いた訳でもなく、
子供もしっかり育て上げた末での事ならええと思うが
(心中が良いという訳ではなく)

当時の風潮が女性の自由を認めてはいなかったってのが要点なんだろうけども

心中相手は誰?名前+画像あり

翠川さんが心中した相手とは誰なのでしょうか?

そこで、心中相手を調べたところ、藤懸羊次(ふじかけ ようじ)さんであることが分かったのです。

この男女の身元は、
北条署で取り調べの結果、
女は初代アナウンサーとして家出中の東京市新宿、翠川秋子こと荻野千代(43)、
男は東京市豊島区池袋町2丁目1166、
弁護士法学士・藤懸重次氏の長男で東京蒲田区役所吏員・藤懸羊次君(29)と断定された」

と東日は報じた。

※「https://bunshun.jp/articles/-/39417?page=2」より引用

藤懸さんは東京都 蒲田区の職員で、大学時代はラガーマンとして活躍した好青年でした。

気になる2人の接点ですが、出会いは1932年のことでした。

同年、藤懸さんは自身の母校である「中央大学 ラグビー部」の大阪遠征に同行。

その際、遠征帰りの列車の中で2人は出会うことになったのです。

こうして2人は出会い、やがて恋愛に発展し、最終的には心中事件を起こしたというわけです。

旦那や子供(子孫)は?

翠川さんの夫は銀行員で、1923年には「京橋貯蔵銀行支店」の支店長になることが決定していました。

ところが、その前年(1922年)に死去しているのです。

未亡人となった翠川さんは女手ひとつで3人の子供(長女・長男・次男)を育てることになりました。

最終的には藤懸さんと心中事件を起こしたものの、その事件を起こしたのは3人の子供が成人した後のことだったのです。

つまり、翠川さんは親としての責任を果たした後で心中を遂げたというわけです。

ちなみに、夫や子供の素性は以下の通りです。

家族の素性

(1)夫:秀夫

(2)長女:美代子[ダンサー]

(3)長男:敏雄[会社員]

(4)次男:輝雄[日本郵船平安丸の乗組員]

※「https://bunshun.jp/articles/-/39412」参照