こんばんは『坊主(ボウズ)』です!!
今回は、日本画家『中路融人(なかじゆうじん)』氏を取り上げます。
中路氏といえば、京都府京都市生まれで、風景画を得意とし日本を代表する画家として、日本で最も人気のある画家としても知られています。
また中路氏は、「日展常務理事」や「晨鳥社(しんちょうしゃ)会長」を務める等、日本画の発展に歳月を注ぎました。
2012年には、文化の向上達成に関し、文化功労者年金法に定められる「文化功労者」に選出されました。
そんな中路氏ですが、2017年7月18日に死去したと報じられました。
日本画家中路融人が死去!死因のホジキンリンパ腫とは
冒頭でも掲載しましたが、2017年7月18日にホジキンリンパ腫のため死去したと報じられました。
中路氏の訃報を報じたのは『読売新聞』です。
”日本画家で
文化功労者の中路融人さんが18日、
ホジキンリンパ腫のため
死去した。83歳だった。
告別式は22日正午、
京都市南区西九条池ノ内町60
公益社南ブライトホール。喪主は妻、
あさえさん。”
同紙が掲載している通り、中路氏がホジキンリンパ腫のため死去したと報じています。
また中路氏の訃報を受けて、インターネット上では、死因でもある「ホジキンリンパ腫」について多くの方が検索されています。
ホジキンリンパ腫について調べていくと、『国立がん研究センター がん情報サービス』には次のように掲載しています。
”ホジキンリンパ腫とは、
悪性リンパ腫の
種類の1つです。病理検査では
白血球の中のリンパ球で
HRS細胞や
LP細胞という
腫瘍細胞が
ふえることが
特徴です。最もよくみられる
初発症状は、
痛みのないリンパ節の腫れや
しこりで、
多くの場合、
頸部(けいぶ)や
鎖骨上窩(さこつじょうか)の
リンパ節腫脹(しゅちょう)で
発見されます。全身症状としては、
発熱、
体重減少、
大量の寝汗が
みられることがあり、
これらはB症状と呼ばれます。発熱は
微熱程度のこともありますが、
ペル・エプスタイン型発熱という
発熱と解熱を
繰り返すこともあります。”
同サイトが掲載している通り、ホジキンリンパ腫とは、悪性のリンパ腫の一種だとされています。
中路氏は、この病気を患い、2017年7月18日に死去してしまいました。
中路融人の家族構成、嫁や子供は?
中路氏の訃報を受けて、やはり多くの方が、中路氏の家族構成について調べています。
今回は、中路氏の家族構成について調べてみました。
まず始めに、嫁(妻)についてですが、冒頭でも引用した記事内に、「妻あきえ」さんと記載されています。
その事により、中路氏は結婚している事がわかります。
しかし、子供についてインターネット上で検索してみましたが、子供の関する情報は掲載されていませんでした。
したがって、中路氏の子供の有無についての詳細は不明です。
中路融人のWiki経歴、画像あり
中路氏は、日本画家になる以前はデザイン事務所に勤務し、テキスタイルデザイナーとして働いていたとされています。
また中路氏は、風景画の巨匠として知られていますが、以前は人物画や動物画を好んで描いていたとされています。
しかし、人物画や動物画は作品展で落選してしまいます。
その後、「晨鳥社」に入塾し、風景画を描くようになり頭角を現したとされています。
中路氏の作品はこちら。
ここで中路氏の経歴を一部ご紹介させていただきます。
”デザイン事務所に勤務し、
テキスタイルデザイナーとして
働きながら、
作品制作をする。このころ、
《祖母の像》を描く。学校時代の
模写の反故紙を用いた。1954年第10回日展に
出品の《浜》が落選。3人の漁師を描き、
モデルは
後輩の國府克。
晨鳥社に入塾し、
山口華楊に師事。1955年第11回日展に
出品の《牛》が落選。晨鳥社入会もあり、
動物画に挑戦、
2頭のホルスタイン牛を
前と後ろから俯瞰するように
構成的に描く。1956年第12回日展に
《残照》が初入選。1958年社団法人第1回日展に
《水郷》を出品、
入選。1960年第3回日展に
《舟》を出品、
入選。1962年第15回晨鳥社展に
《郷》を出品、
京都府知事賞受賞。京展に
《樹林》を出品、
京都市長賞受賞。第5回日展で
《郷》(株式会社石長蔵)が
特選・白寿賞受賞。”
Wikipediaより引用。
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