こんばんは『坊主(ボウズ)』です!!
今回は、衆議院議員『中村喜四郎』氏について投稿します。
![](https://sp-ao.shortpixel.ai/client/to_webp,q_lossy,ret_img,w_205,h_300/http://mybouzu.info/wp-content/uploads/2017/05/PN2009101901000759.-.-.CI0003-205x300.jpg)
彼は、茨城県猿島郡境町出身の政治家です。
出生時の名前は「中村伸(しん)」。
「第58代建設大臣」「第43代科学技術庁長官」
「自由民主党総務局長」を歴任。
父・中村喜四郎、母・中村登美はいずれも参議院議員を務めた。
大学卒業直前、田中角栄事務所に入所し
田中氏の秘書を務める。
1976年、第34回衆議院総選挙に旧茨城3区から無所属で出馬し当選。
出馬に際し、父である中村喜四郎(先代)の遺志を継ぐ意味で、
戸籍名を喜四郎に改める。
1989年、宇野内閣で科学技術庁長官に任命され、初入閣を果たす。
今回は、彼について調べてみました。
逮捕歴あり/理由
彼は現在でも、政治家として活動していますが
彼には逮捕歴があるという事がわかりました。
彼のWikipediaにはこう掲載されています。
”1994年(平成6年)、
ゼネコン汚職事件に絡み、
自民党独占禁止法に関する特別調査会会長代理在任中に、
鹿島建設からの依頼で
公正取引委員会への口利きをした斡旋収賄罪容疑が浮上。東京地方検察庁特別捜査部が任意捜査を求めるも、
中村が聴取を拒否をしたため、
検察は逮捕許諾請求を衆議院に提出して
逮捕する方針を取った。衆議院で逮捕許諾決議が可決され、
中村は逮捕された。1997年(平成9年)10月、
東京地方裁判所で懲役1年6ヶ月、
追徴金1000万円の実刑判決を受けた”
と掲載されています。
上記の事から実刑が確定判決となり、彼は黒羽刑務所に収容されました。
そして2004年に仮釈放され、刑期を満了しました。
公明党との関係は?
彼は、刑期を満了してから
2005年、2009年、2012年と再び無所属で出馬し、当選しています。
彼は無所属といわれていますが
ネット上では「中村喜四郎 公明党」というワードで
検索されています。
なぜ、このようなワードで検索されているのか調べた結果、
1つの記事が関係していました。
2012年12年17日に配信された『読売新聞』にこう掲載されています。
”衆院茨城7区では、無所属の中村喜四郎さんが、
激戦を制し12回目の当選を決めた。テレビの開票速報が流れる地元・境町の事務所は、
詰めかけた支持者たちの熱気に包まれ、
当選確実になると大きな歓声が上がった。中村さんは「皆さんのおかげで厳しい選挙に勝てました」と
支持者らと喜びを分かち合った。盤石の後援組織を持つ中村さんだが、
解散後は、支持率が自民党の永岡桂子さんに劣るとして、
懸命の追い上げ態勢を築いた。無所属候補では異例の公明党推薦を得たほか、
森喜朗元首相らの応援を得た。永岡さんは、約7年間の実績をアピールしたが、
小選挙区当選の「悲願」はかなわなかった。”
と掲載されています。
この引用した記事からも公明党推薦は異例としています。
ネット上では「公明党=創価学会」とされており
彼は創価学会と何らかの関係があると噂されています。
しかし、ネット上ではこれ以上の情報はなく
詳細は不明です。
中村喜四郎の母が死去!死因は?
冒頭でも掲載した通り、彼の母親も政治家として活動していました。
母親、中村登美について調べていくと
2016年4月12日に配信された『産経ニュース』にこう掲載されています。
”中村登美さん(元参院議員、
中村喜四郎衆院議員の母)9日、死去。99歳。通夜は25日午後6時半、
葬儀・告別式は26日午後1時、
茨城県境町伏木1359の2、
バンケットハウスアリモールで。喪主は長男、吉伸(よしのぶ)氏。
夫で先代の中村喜四郎氏が在職中に死去したのを受け、
昭和47年の参院茨城選挙区補選に立候補し、初当選。1期務め、参院物価対策特別委員長に就いた。”
と掲載されています。
また、死因について調べたのですが
詳しい内容は掲載されておらず、死因は不明です。
最近のコメント