【死因:肺がん】俳優,橋本力が死去!結婚歴や家族(嫁,子供)は?出演作品やWiki経歴,画像あり!

こんにちは坊主です!!

今回は、『橋本力(はしもとちから)』氏を取り上げます。

皆さんは、橋本力氏の事をご存知でしょうか?

橋本氏は、毎日オリオンズ(現:ロッテ)所属の元プロ野球選手(外野手)として活動しており、現役引退後は俳優に転身し、特撮時代劇シリーズ「大魔神」のスーツアクターなどで活躍していた事で知られています。

お世辞にも橋本氏の知名度は高いと言えませんが、ここに来て注目を集める出来事が報じられました。

それは、橋本氏の訃報です。

橋本氏は、長年患っていた肺がんのため、2017年10月11日に死去していた事が判明し世間の注目を集めています。

そこで今回は、そんな橋本氏について調査してみました。

スポンサーリンク



俳優,橋本力が死去! 死因:肺がん

冒頭でも掲載しましたが、橋本氏は2017年10月11日に長年患っていた肺がんのため、死去した事が報じられ世間の注目を集めています。

この事について、2017年10月20日に配信された『サンスポ』は次のように報じています。

”プロ野球・毎日オリオンズ(現ロッテ)の元外野手で、
特撮時代劇シリーズ「大魔神」のスーツアクターなどで知られる俳優、
橋本力(はしもと・りき、本名=ちから)さんが
11日午前9時11分、
肺がんのため、
東京・多摩市内の病院で死去していたことが19日、
分かった。

83歳だった。

所属事務所によると、
橋本さんは4年前に肺がんが発覚し、
体調が悪化した今年9月から入院。

一昨年までは舞台に出演していたが、
高齢でひざが悪く、
近年は主に「大魔神」やブルース・リー関連のイベントに出演していた。

入院先の病室ではプロ野球中継を見て、
ロッテの動向を気にしていたという。

通夜は18日、
葬儀・告別式は19日に営まれた。”

同紙が掲載している通り、橋本氏は肺がんのため、2017年10月11日に死去していた事を報じています
。

また今回の訃報を受けて、橋本氏の私生活について感心が集まっています。

橋本氏は私生活を公表していたのでしょうか?

そこで今回は、私生活について調査してみました。

スポンサーリンク



俳優,橋本力の結婚歴や家族(嫁,子供)は?

上記でも掲載しましたが、今回の訃報を受けて、橋本氏の私生活について感心が集まっています。

上記で引用した「サンスポ」では、家族についての記述はされていません。

そこで、橋本氏の私生活を調査しましたが、詳細な情報は公表されていません。

しかし、橋本氏のWikipediaには娘さんが居る事が掲載されています。

”ジャッキー・チェンの映画が日本で封切られた際に、
娘がこれを知り、

「パパそんなに偉かったの」

と教えてくれたという。”

同サイトの通り、彼に娘さんが居る事が掲載されています。

従って、橋本氏は結婚歴があり、妻が居る事が判明しました。

しかし、妻や娘さんの素性は公表されておらず、詳細な情報は不明です。

スポンサーリンク



俳優,橋本力の出演作品やWiki経歴あり

今回の訃報を受けて、世間の注目を集めている橋本氏ですが、やはり多くの方が出演作品や経歴などに関心が集まっています。

冒頭でも掲載していますが、橋本氏は毎日オリオンズ(現・ロッテ)所属の元プロ野球選手(外野手)として活動していた事は知られています。

現役引退後は、俳優に転身し、特撮時代劇シリーズの「大魔神」のスーツアクター等を務めるなど、俳優としての経験を積みます。

その後、その高い演技力から、往年の名俳優「勝新太郎(かつしんたろう)」氏に認められ、大映京都撮影所のスターとなりました。

また橋本氏は、世界的アクションスター「ブルース・リー」氏と「ドラゴン怒りの鉄拳」で共演を果たしています。

この事について、橋本氏のWikipediaには以下のように掲載されています。

”橋本力(はしもとちから、
1933年〈昭和8年〉10月20日-2017年〈平成29年〉10月11日)は、
北海道出身の元プロ野球選手、
俳優。

ポジションは外野手。

OKエンターテイメント所属。

野球選手から映画俳優に転身した橋本だが、
当時、
山本富士子、
京マチ子、
若尾文子らの全盛期でもあり、
「そんな人たちと一緒に映画に出るなんて考えられなかった」

という。

上田吉二郎に相談したところ、
「あんたはその顔つきも性格も(俳優に)向いてるよ」

とアドバイスを受け、

「同じ大映だから社宅を引っ越さなくてもいい」
ということもあって、
俳優転身を決めたという。

(中略)

『ドラゴン怒りの鉄拳』で
ブルース・リーと共演することになったきっかけは、
勝新太郎が
『新座頭市 破れ!唐人剣』(1971年、安田公義監督)で
王羽(ジミー・ウォング)と共演したことからだった。

勝が王羽と親しくなり、
王羽がゴールデン・ハーベストを通して、

「今度アメリカから来た凄いやつが
香港で出た一本目が、
100万ドルの興行収入を得た。

その第2弾を作りたいので、
明治時代の悪い日本人の役の俳優を紹介してくれ」

と勝に依頼。

出演作品

一刀斎は背番号6(1959年)
選手役兼野球アドバイザー
※デビュー作

大魔神(1966年)
元木半蔵、
大魔神

ガメラ対宇宙怪獣バイラス(1968年)
医師風の男

妖怪大戦争(1968年)
ダイモン

ドラゴン怒りの鉄拳(1972年、
日本公開は1974年)

日本人柔道場主・鈴木寛”