こんにちは。坊主です。
今回は、歌手および女優として活躍した江美早苗さんを取り上げます。
中里綴(つづり)は江美早苗の名前で西野バレエ団のレガールズのメンバーに。そして筒美京平作品でソロデビュー。https://t.co/Umdj1xuWWd
江美早苗「涙でかざりたい」
68年橋本淳作詞 筒美京平作曲 pic.twitter.com/0MCQeqx6Uu— ドリウィー2 (@6jokilistener2) March 2, 2021
作詞家としても活躍し、その際には「中里 綴(つづる)」を名乗っていました。
実は、江美さんは、桂 文枝さんと共に「新婚さんいらっしゃい!」(以下、新婚さん)のアシスタントを務めていたのです。
「1971(昭和46)年の静岡新聞記事より」(その8) 今年放送48年を迎えた『#新婚さんいらっしゃい』。初代アシスタントは西野バレエ団出身の #江美早苗 女史。作詞家でもある彼女は、1988年に非業の死を遂げるまで中森明菜や堀ちえみらアイドルに詩を提供した。 pic.twitter.com/Ztw3BoDVAn
— 昭和レインボー (@ShowaRainbow) September 5, 2019
一体、江美早苗さんとはどんな人物なのでしょうか?
江美早苗は元夫に刺されて死亡していた
江美さんは1988年3月5日に亡くなっています。
36歳という若さで死去した江美さんですが、その原因は元夫に刺されていたからなのです。
元夫は14歳年上のプロデューサーで、名前を屋代昭彦と言います。
2人が交際していた当時、屋代には妻がいたため、江美さんとの関係は不倫でした。
しかし、その不倫が妻の知るところとなり、最終的に妻は自×しているのです。
これきっかけで江美さんと屋代は結婚することになりますが、その結婚生活も長くは続かず、1985年に離婚しています。
離婚が成立して”赤の他人”となった2人でしたが、離婚後も屋代は江美さんに金を無心するなどして付き纏いを開始するようになります。
婚姻関係にあった当時から屋代の素行は悪く、酒・女・ギャンブルに溺れていました。
屋代は江美さんが稼いできたお金にも手を付ける始末で、もともと家庭的な人間ではなかったのです。
係る事情から、江美さんは屋代との離婚を決意したというわけです。
ところが、これに逆上した屋代は執拗に江美さんを突け狙うようになり、1988年3月5日に事件が起きてしまったのです。
屋代の行為は明らかにストーカーそのものですが、当時はストーカー規制法が存在せず、警察も積極的に介入することが出来なかったという背景がありました。
こうした事情も相まって、屋代の凶行を未然に防ぐことが出来なかったというわけです。
世間の反応
「新婚さんいらっしゃい」初代アシスタントだった江美早苗さん(=作詞家中里綴)
実はアシスタントだった桂三枝、
実はメイン司会だった月亭可朝
加害者は元夫の屋代昭彦って人らしいけど
自分が不倫して元妻が自×したのに
今度はその不倫の末に再婚し離婚した元妻のストーカーして復縁迫って滅多刺し理由は別の男つくったからって
いやぁ中々のあたおかっぷり
ぶっ飛んでんなぁ
江美早苗さんが気になって調べてみたら、
作詞家として活躍された後に大変な事件があったんですね・・・。
元夫:屋代昭彦の顔写真(画像)あり↓生年月日や現在は?
元夫である屋代の顔写真(画像)は以下のURLよりご覧いただけます。
ttps://ストーカー.jp/casefile_item/ganso
江美さんを刺した事件で逮捕された屋代は逮捕・起訴され、最終的に懲役12年の実刑判決が下されています。
屋代は既に刑期を終えて出所していますが、その後の行方は掴めておらず、現在の様子は不明となっています。
屋代の生年月日こそ不明ですが、江美さんよりも14歳年上であることから、1988年当時の年齢は50歳となります。
2022年現在も存命中であれば、84歳前後と推定されます。
最近のコメント