【死因:食道がん】デビル紫が死去!結婚歴や家族(嫁,子供)は?Wiki経歴や画像あり!

こんにちは坊主です!!

今回は、『デビル紫』さんを取り上げます。

本名「村崎昭男(むらさきあきお)」さんを取り上げます。

皆さんは彼の事をご存知でしょうか?

彼は、1970年代から1980年代に掛けて、国際プロレスで活躍した元悪役プロレスラーとしてその名前を広く知られてます。

彼は昭和プロレス時代のトップヒールとして活躍し、当時のプロレスファンから絶大な支持を得ていました。

そんな彼がここに来て、注目を集める出来事が報じられました。

それは彼の訃報です。

彼は2017年10月23日に食道がんのため死去していた事が判明し世間の注目を集めています。

そこで今回は、そんな彼について調査してみました。

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デビル紫が死去!死因:食道がん

冒頭でも掲載しましたが、彼は2017年10月23日に食道がんのため死去した事が判明し、報じられ世間の注目を集めています。

この事について、2017年10月27日に配信された『デイリー』は次のように報じています。

”国際プロレスで活躍した
元プロレスラーのデビル紫さん(本名・村崎昭男)が
食道がんで23日に死去していたことが27日、
関係者の話で分かった。

75歳。

村崎さんは海上自衛隊を経て、
1967年に国際プロレスに入門。

素顔でデビューし、
悪役として活躍。

海外転戦中の75年に覆面レスラーとなり、
“悪魔仮面”の異名を取った。

80年に引退し、
レフェリーなどを務めた。”

同紙が掲載している通り、彼は食道がんのため2017年10月23日に死去していた事を報じています。

また今回の訃報を受けて、彼の私生活について感心が集まっています。

彼は結婚していて家族(嫁,子供)は居たのでしょうか?

そこで今回は、彼の私生活について調査してみました。

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デビル紫の結婚歴や家族(嫁,子供)は?

上記でも掲載しましたが、今回の訃報を受けて彼の私生活について感心が集まっています。

しかし、引用した「デイリー」では、彼の家族についての言及はされていません。

彼は結婚していて、子供は居たのでしょうか?

そこで、彼の私生活を調査したところ、ウェブサイト『戦後史の激動』では以下のように掲載されていました。

”39歳で結婚しましたが、
その頃は定職が見つからず仕事を転々とし、
40歳で警備会社に就職。

以来、
年金の受給資格まで(つまり25年間)つとめあげ、
ギリギリ定年前に年金の受給資格をクリア。

今は年金生活で孫も産まれたそうです。”

同紙が掲載している通り、彼は39歳で結婚し、2017年現在では孫が誕生していると掲載されています。

その事から、彼は結婚し妻がおり、子供が居る事が判明しました。

またこの情報を元に、彼の妻や子供,孫について調査しましたが、ネット上では詳細な情報は得られませんでした。

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デビル紫のWiki経歴は?

今回の訃報で世間の注目を集めている彼ですが、やはり多くの方が彼の経歴について感心が集まっています。

しかし、彼のWikipediaは制作されておらず詳細な経歴は不明です。

そこで、ネット上で彼の経歴について調査したところ以下の事が判明しました。

彼は、プロレスラーとなる以前は海洋自衛隊に所属していた事は、上記で引用した「デイリー」でも掲載されています。

その後自衛隊を除隊し、大阪府大阪市にある実家の食堂を手伝いながらレスラーを目指していたそうです。

1967年に交際プロレスに入団し、悪役レスラーとしての頭角を現します。

また彼はアメリカやメキシコ等の海外遠征の経験を持ち、各地でトップヒールとなり日本に帰国。

その後、国際プロレスを引退し警備会社に入社し定年まで務めていたと判明しました。

この事について、ウェブサイト『昭和プロレス研究所』には以下のように掲載されています。

”本名は村崎昭男。

海上自衛隊を除隊後の昭和42年に国際プロレスに入門。

一時は村崎鬼三を名乗ったが、
デビル紫に落ち着く。

昭和47年にテネシーに遠征、
大位山とのコンビで活躍。

この後WWA、
メキシコをサーキット。

各地でトップヒールとして活躍。

昭和50年にスペインに転戦した際にマスクマンに変身した。

昭和51年10月に帰国。

寺西勇のIWA世界ミッド・ヘビー級王座に挑戦するなど注目を集めるが、
その後は同じマスクマンのマッハ隼人の台頭などもあり尻すぼみ。

昭和55年に引退して国際プロレスの営業部員となった。

正体の割れている日本人レスラーがマスクマンに
転向した最初のケースだともわれる。”