こんにちは坊主です!!
今回は、『ドン中矢ニールセン』さんを取り上げます。
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皆さんは彼の事をご存知でしょうか?
彼は日本人の祖母を持つ日系3世であり、アメリカ合衆国出身のキックボクサーとして活躍していました。
デビュー当時日本ではあまり知られていませんでしたが、1986年に両国国技館で行われた新日本プロレス「INOKI 闘魂 LIVE」で、「前田日明」選手と異種格闘技戦で対戦し、その緊張感溢れる展開で日本の格闘技ブームの立役者となりその名を一躍有名にしました。
しかしここに来て、彼が死去していた事が報じられ世間の注目を集めています。
彼の死因はいったいなんだったのでしょうか?
今回は彼の死因について調査しました。
ドン中矢ニールセンが死去!死因:心臓発作
冒頭でも掲載しましたが、彼は2017年8月15日に心臓発作のため57歳という若さで死去していた事が報じられました。
この訃報を報じたのは『eFight』です。
2017年8月18日に配信された同紙は次のように報じています。
”かつて前田日明と新日本プロレスで異種格闘技戦を戦い、
日本の総合格闘技ブームのルーツとなった、
日系三世の元キックボクサー、
ドン・中矢・ニールセン(米国)が8月15日、
バンコクにて亡くなった。57歳だった。
死因について、
弟のジョン・ニールセンに取材をしたところ「脚が感染症にかかって、
それが非常に悪化したんです。血液に毒素が入って腎不全になってしまいました。
それで脚の手術を受けたのですが、
手術中に心臓発作が起こって昏睡状態となり、
再び心臓発作を起こして亡くなりました」とのこと。
1993年に、
ニールセンは選手を引退。引退後はタイのバンコクで
カイロプラクティック院を開いて活動。多くの人を癒してきた。
昨年も親戚を訪ねて日本を訪れていたニールセン。
「いつか前田にも会いたいね」
と話していただけに、
今回の逝去は残念でならない。”
同紙が掲載している通り、彼の死因は心臓発作である事を報じています。
また同紙は彼は脚の感染症にかかっていた報じています。
しかし感染症の詳細は情報は掲載されていないため不明ですが、様々な原因が重なり、心臓発作により2017年8月15日に死去したしまいました。
また彼の訃報を受けて、家族について大きな関心を集めています。
今回は彼の家族について調べてみました。
ドン中矢ニールセンの現在の家族(嫁,子供)は?
上記で引用した「eFight」では、彼は引退後、タイのバンコクでカイロプラクティック院を開業していたと報じられています。
カイロプラクティック院とはいったいどういうものなのでしょうか?
この事について調べた結果、ウェブサイト『日本カイロプラクターズ協会』には以下のように掲載されています。
”カイロプラクティックは
身体の構造(特に脊椎)と機能に注目した専門医療です。カイロプラクティックの施術法は、
施術者によって様々ですが、
主に脊椎やその他の身体部位を調整(矯正)することにより、
ゆがみの矯正、
痛みの軽減、
機能改善、
身体の自然治癒力を高めることを目的としています。(厚生労働省, 2014年)
分かりやすく言えば、
骨格のゆがみ、
特に背骨の機能異常を手技によって
調整することで神経の働きを回復するヘルスケア(保健医療)です。すなわち人間の体を主にコントロールするのは
脳につながる神経系であり、
その働きがよくなれば
自然に人は症状の改善とともに
健康になるという訳です。”
同サイトの通り、整体と同様に骨格系を中心に行う医療だと掲載しています。
彼は引退後この医院をバンコクで開業し成功を収めていました。
また彼の家族についても調査しましたが、詳細な情報は公表されていません。
彼の年齢(57歳)から考えると、配偶者や家族が居ても不思議ではありません。
ネットで調査したところ、彼の私生活が公表されていないため、配偶者や子供の有無は不明です。
ドン中矢ニールセンのWiki経歴
今回の彼の訃報を受けて、経歴などに多くの関心が集まっています。
彼は1986年にプロレス選手「前田日明(まえだあきら)」選手と対戦したことで一躍有名になった事は有名です。
また前田日明さんといえば、韓国系日本人であり、その体格から繰り出されるダイナミックな技で人気を博し男性はもとより女性からも絶大な人気を得ています。
現在では、実業家として成功を収めており、総合格闘技大会「THE OUTSIDER」のプロデューサーとして知られています。
そんな前田さんと対戦した事で、日本では無名であった彼は一躍その名を知らしめます。
その後、数々の格闘技に参戦し勝利を収めていました。
今回は、彼のWikipediaを発見しましたので一部ご紹介させていただきます。
”ドン・中矢・ニールセンは、
アメリカ合衆国出身のキックボクサー。20世紀終盤に活躍した。
タンスドー空手を学びアメリカンキックボクシングで活躍、
PKAヘビー級王者ブラッド・ヘフトン、
モーリス・スミス(1983年 7R判定負け)ら強豪とも試合を行った事がある。1986年に来日しプロレスラーとの異種格闘技戦で話題となる。
のちにムエタイに転向。
日本の選手を相手にUWFブーム、
K-1ブームの原点と言ってもいい試合で話題を呼び、
80年代後半の日本の格闘技ブームの立役者の一人だった。現在は、
タイにてカイロプラクティック院を経営している。(中略)
1986年10月9日両国国技館で行われた
新日本プロレス「INOKI 闘魂 LIVE」で、
前田日明と異種格闘技戦で対戦。打撃で攻め立てるニールセン、
組み付いての関節技狙いの前田との緊張感溢れる展開は
格闘史に残る名勝負となり、
最後は5R2分26秒、
逆片エビ固めで敗退。この試合で、
前田は「新・格闘王」の称号を得た。”
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