こんばんは『坊主(ボウズ)』です!!
今回は、元プロ野球選手『永射保(ながいたもつ)』さんを取り上げます。
皆さんは、彼の事をご存知でしょうか?
彼は、1971年にドラフト3位で「広島東洋カープ」に入団しプロ野球選手となります。
1974年、交換トレードで「太平洋クラブライオンズ」に移籍。
ライオンズに移籍後、中継ぎとして起用されますが成績が上がらず
投球フォームを研究し、4年の歳月を経て改造に成功。
その後、一軍に定着し「左のサイドハンド」という流麗かつ特異な投げ方から、
レフトキラーしとして活躍します。
そんな彼が2017年6月24日にがんのため死去していた事が報じられました。
今回は、彼について調べてみました。
病気=がん 永射保が死去!
彼の死去の一報を報じたのは『毎日新聞』です。
2017年6月24日に配信された同紙は次のように報じています。
”永射保さん63歳24日、がんのため死去。
通夜は25日午後7時、葬儀は26日正午、
福岡県久留米市野中町865の久留米草苑。
喪主は妻累理子(るりこ)さん。鹿児島県出身。72年に指宿商高から広島に入団。
西武、ダイエー(現ソフトバンク)などに在籍した。
通算成績は606試合に登板して
44勝37敗21セーブだった。”
同紙が報じている通り、彼が死去した事を報じています。
一部ネット上では、彼の死因のがんについて検索されていますが
詳細な情報はありませんでした。
家族構成(嫁、子供)は?
彼の一報が報じられ、彼の家族構成について多くの方が検索されています。
彼の家族構成について調べてみましたが詳細な情報はありません。
しかし、上記で引用した記事内で、彼は結婚している事がわかります。
妻の名前は「累理子(るりこ)」さん。
子供についても調べてみましたが、詳細な情報は掲載されておらず不明です。
自衛隊に入隊したいた過去!
彼の事について調べていくと、過去に自衛隊に入隊していたという噂が囁かれています。
自衛隊に入隊していた事は事実なのでしょうか?
この事について調べていくと、「長谷川晶一」さんの著書「極貧球団」に辿り着きました。
この著書の中で、彼の事を掲載しています。
当時のライオンズの若手選手は、野球のみでは生活していけず
オフシーズンにアルバイト等で生計を立てていたとされています。
そこで彼は、身分を隠し、オフの間に自衛隊に入隊していたと掲載されています。
また、ブログ『バックスクリーンの下で』にはこう掲載されています。
”極め付きは、永射保だ。
当時平和台球場近くでは、
10階建てマンションの建設が進んでいたが、
永射は型枠工事を1人で受け持った。もちろん、本職は野球選手だが、
手先が器用な永射は、見よう見まねで職人の技を盗んだ。ある年のオフに選んだアルバイト先は、自衛隊。
給料もいいし、トレーニングにもなるということで、
身分を隠して入隊した。スポーツ選手なので、体力は申し分ない。
学力試験でも、鉛筆を転がした選択試験がことごとく的中し、
永射は将来の幹部候補生と評価された。とは言っても、本業はプロ野球。
年明けとともに、そろそろ自主トレに入らなくてはならない。
永射が恐る恐る身分を明かし、
除隊を申し入れると、上官も驚きを隠せない。「さすがプロ野球選手だ。やはり基礎体力が違う」と納得しつつも、
「現役を引退してから自衛隊に入隊した人はたくさんいるだろうが、
現役中に入隊して認識番号を持っているプロ野球選手は、
君が最初で最後でははないのかな」と呆れ顔だった。”
同サイトにも掲載されている通り、
彼が過去に自衛隊に入隊していた事は事実ではないでしょうか?
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