【死因/肝臓ガン?】上田利治監督が死去!家庭の事情は嫁、娘が統一教会入信騒動!Wiki/経歴画像あり

こんにちは『坊主(ボウズ)』です!!

今回は、元プロ野球監督『上田利治(うえだとしはる)』氏を取り上げます。

皆さんは彼の事をご存じでしょうか?

彼は1959年、「広島カープ」に捕手として入団。

1959年から1961年の間、プロ野球選手として活躍。

約2年間プロ野球選手として活躍後、「阪急ブレーブス」「オリックス・ブレーブス」「日本ハムファイターズ」の監督を歴任。

特に「阪急ブレーブス」では黄金時代を築いた事から”名将”と称されました。

そんな彼が、2017年7月2日に死去していた事が報じられました。

今回は、そんな彼について調べてみました。

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死因/肝臓ガン? 上田利治監督が死去!

彼の死去について報じたのは『サンスポ』です。

2017年7月2日に配信された同紙は次のように報じています。

”プロ野球阪急の指揮を執り、
日本シリーズ3連覇を果たした上田利治氏が
80歳で死去したことが2日、分かった。”

同紙は彼が死去した事を報じています。

しかし、彼の死因については掲載されていません。

彼の死因について調べていくと、彼は以前、肝臓の手術を受けていた事がわかりました。

この事について2017年7月2日に配信された『スポーツ報知』は次のように報じています。

”99年に肝臓を手術して以降は、
体調に考慮しながらの生活で、
検査入院などを繰り返すこともあったという。

15年1月に大阪・吹田市で行われた
関大硬式野球部創立100周年のパーティーも、
体調面を理由に欠席していた。”

同紙が掲載している通り、彼は肝臓の手術を受けていた事を報じています。

一部ネット上では、彼の死因は”肝臓ガン”ではないかと噂されています。

しかし、彼の死因が公表されない限り、詳細は不明です。

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家庭の事情は嫁、娘が統一教会入信騒動!

彼の訃報を受けて、ネット上では彼の過去について多くの方が検索されています。

今回は、彼の過去について調べてみました。

彼は1995年に、「日本ハムファイターズ」の監督に就任しています。

1996年には、オリックスと優勝争いを繰り広げ、日本ハムの優勝への期待も高まりましたが、同年9月9日に「家庭の事情」を理由に突然休養します。

なぜ、彼は突如として休養を発表したのでしょうか?

この事について、2015年1月1日の『YAHOO!知恵袋』にはこう掲載されています。

”質問者

1996年日本ハム上田監督は何故、
シーズン途中に休養したのですか?

回答者

家族の統一教会入信騒動です

当時日本ハム監督でしたが。

9月の天王山オリックス戦で
ウエさん統一教会騒動・休養という
オチがついてしまいました。

最終的にはオリックスに
7ゲーム差つけられての2位だったわけで、
まさにこの年は天国から地獄でしたね。

それにしても、
やはりこの年はあの統一教会騒動でしょうか

(注:9月10日、前日夜に週刊現代から
家族の入信問題を取材されたという上田監督が、
首位オリックスとの直接対決の試合前、
心労を理由に休養を申し入れ、
シーズン終了まで休養するに至った)。

報道を聞いた時は、
まあウエさんの気持ちも分からなくもないし、
この大事な時期にああいう記事を出す週刊現代は論外なのだが、
でもそこで休養かオイ、って感じでしたね”

同サイトが掲載している通り、上記の内容で休養した事がわかります。

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Wiki/経歴画像あり

彼の経歴について調べていくと、Wikipediaを発見しましたので、一部をご紹介します。

”監督時代

1974年、37歳の若さで阪急の監督に就任。

監督就任2年目の1975年から
日本シリーズ3連覇を含むリーグ4連覇を果たし、
現在でも語り継がれる阪急の黄金時代を築き上げた。

日本シリーズ3連覇は三原脩監督率いる西鉄ライオンズ、
水原茂監督率いる巨人、
川上哲治監督率いるV9時代の巨人、
森祇晶監督率いる西武ライオンズ(1986年~88年、
90年~92年の2度)しか達成していない。

1978年もリーグ優勝して日本シリーズに進出し、
読売ジャイアンツのV9以来
史上2チーム目の4年連続日本一がかかった
1978年の広岡達朗率いるヤクルトスワローズとの日本シリーズでは、
佐藤義則、山口高志の二人の主力投手を欠く
苦しい事情を抱えてのものになった。

それでも事前の予想は常勝阪急の圧倒的有利だったが、
3勝3敗となったタイで迎えた第7戦の6回裏から
ヤクルトの大杉勝男が左翼線に放った本塁打を
ファウルだと上田が抗議し、
この飛球を本塁打と判断した判定の取り消しと、
本塁打と判定した線審の富澤宏哉の交代を求めた。

審判団は受け入れず、
激怒した上田は選手をグラウンドから引き上げて抗議を続け、
この抗議による中断はシリーズ史上最長の1時間19分にも及んだ。

ついにはコミッショナーの金子鋭が
ベンチの上田のところまでに出向き
「コミッショナーの私がこうして頭をさげる。
それでも上田君、試合を再開してくれないのか?」
と懇願するまでの事態になり、
ついに上田は試合再開に同意する。。”

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